第17話『珠洲』
第3章『日常』
——誰かにとっては当たり前のもの。
それは、誰かにとっては望んで止まない幸せで、それを手に入れるために、必死に戦っている誰かがいるのかも知れない。
でも、それが当たり前だった人は、そのありがたさを知らない——失ったことがないから。
——私にとっては輝いて見えたもの。
それは、誰かにとっては当たり前で、それを手に入れるために、私がどれだけ苦しんだかなんて、みんなには分からないかも知れない。
でも、それを持っていなかった私には、その先にある苦しみが、どんなものなのか分からなかった。
……だからみんな、正しく生きていたんだ。
……だからみんな、私たちを排除したんだ。
私は知らなかった——手に入れたことがなかったから。
幸せな日々が、それを壊してしまう何かに怯えることで成り立っていたなんて、私は想像していなかった。
幸せを手に入れたら、それで終わりじゃないなんて——知らなかったんだ。
———————
第17話『珠洲《スズ》』
黄土色のソファベッドの上に男女二人、身を寄せ合う訳でもなく、あくまで友人としての距離を保っていた。
——人ひとり分の隙間は、きっと躊躇《ためら》いの分だ。
アルトラに一番の友達だと言われた私は、ただ微笑むことしか出来なかった。
「そういえば、明日はスズとゲーセンに行くんだよね」
アルトラは笑顔のまま、そんなことを私に言った。
スズ——きっと、彼にとって二番目の友達。
面識はないが、彼の正義を信じる仲間であり、恋を知らない彼に近付く異性の手。
そんな彼女と、私が行けないところに行くのだと、アルトラはなんの遠慮もなく言ってのけた。
「そっ、か。いいなぁ、私も一緒に行ければいいのに……」
あの事件以降、私はゲームセンターに行くことを禁止されている。
——こっそり破ってしまっても良いが、心配してくれる両親に悪いので、一応高校生までゲームセンター禁止の約束を守るつもりなのだ。
……まさか、それでアルトラのことを『取られる』だなんて思わないが、それでも不安がないかと言われれば、当然大いに不安だった。
「それと、スズが来週の祝日に会えないかって言ってるんだけど、リンはその日空いてたりする?」
「えっ、スズちゃんが私に会いたがってるの? もちろん、空いてるよ」
私も彼女には会ってみたかった。
スズという子がアルトラにどう接するのか、そこに恋心があるのか——見極めたいのだ。
そのことを抜きにしても、どうして面識のない私まで救おうとしてくれたのか気になるし、少なくとも敵ではないと、私は直感していた。
「よし、じゃあ水曜日のお昼、家《うち》に集合でいい?」
「うん、楽しみにしてる」
——いったい、どんな子なんだろう。
アルトラが、信用出来る友人として新しく迎え入れた女の子。
私を守るために知恵を働かせて、アルトラに力を貸してくれた、明るい側の世界の子。
仲良くなれるといいな——
翌週の祝日の昼、私は寒さで——あるいは緊張で手が震えるのを感じながら、いつも通り自転車でアルトラの家にやって来た。
そこには見慣れない自転車が既に停まっている——どうやら、スズは先に家に着いているようだった。
恐る恐るインターフォンを鳴らすと、中からアルトラの声で「入って!」と聞こえて来たので、何時になくこわごわとドアを開けて、家に上がらせてもらう。
「お、お邪魔します。」
上品に揃えられた白色の汚れない靴は、彼女がどんな人物であるかを表しているようで、更に緊張する。
そして私も靴を脱ぎ揃えて一歩進み、リビングの方を見ると——そこには、可愛いというより、綺麗な女性、といった雰囲気の女の子が座っていた。
「はじめまして、リンちゃん。スズって言います」
わざわざ椅子から立ち上がって、ペコリとお辞儀をした彼女に、私もお辞儀を返す。
——礼儀正しい人なんだろう。すごく落ち着いていて、堂々としていて、大人っぽい。
「はっ、はじめまして、あの、リンです、アルトラの友達です!」
私の人見知りが炸裂したのを見て、彼女はふふっと上品に笑う。
そして、テーブルにお茶を運んで来たアルトラは、スズの振る舞いを見て、何故か「うわぁ」と声を漏らしながら、彼女の横を通りすがる。
「……リン、気を付けて。スズは意外と——いや、かなり意地悪だから」
「ちょっと!」
アルトラに向かって抗議するスズを見ていると、なんとなく、本当はどんな人なのかが分かる気がして——私は思わず笑顔になる。
そんな私の様子を見て、可愛らしく微笑んだ彼女に、一瞬で私は心を許した。
——良かった、きっとすぐに仲良くなれる。
「まあ、リンも座って。緑茶で良かった?」
「うん。ありがと、アルトラ」
テーブルの横に用意されてた椅子に座らせてもらい、冷えた手で温かい湯呑みを取って、早速一口頂く。
スズは私の挙動を、まるで小動物でも眺めるかのように観察しており、それに気付いた私が照れながら微笑むと、彼女もニコッと笑ってくれた。
「噂には聞いてたけど、リンちゃんめっちゃ可愛いじゃん——もしかして、脅して仲良くしてもらってる?」
「違うっての」
冗談っぽくそういう彼女を、アルトラはお茶を飲みながら軽くあしらう。
褒められ慣れていない私は、いきなり彼女に可愛いなどと言われて、顔が真っ赤になるかと思うほどに照れてしまう。
「そ、その、スズちゃんも綺麗で、髪長くて素敵ですっ」
「本当《ほんと》? ありがとう、嬉しい!」
スズは私に、嬉しそうに抱き着こうとして——思わず私は身を引いてしまった。
そんな姿をアルトラはもう一口お茶をすすりながら「やっぱそうなるよな」と呟きつつ眺めている。
——びっくりした。
身体に触れられ慣れていない私は、同性とはいえ、いきなりスキンシップを求めてきた彼女に驚き、身体は自然と拒否反応を起こしてしまった。
……これが明るい世界の子!
「——なんか距離感が近いのよ、スズは」
「ええー、女の子同士ってこんなもんじゃないの?」
「えと、ごめんなさい、びっくりして……」
ああ、心臓に悪い、まさかアルトラにもこんなふうに抱き着こうとしてはいないだろうか。
——いや、私の手に触れることすら躊躇した彼なら、そうされても抵抗する気がする。
……でもどうだろうか。
私とは違い、包容力と弾力がありそうなその胸に、飛び込みたくなる気持ちは、少しわかってしまう。
——柔らかそう。やっぱり、もちもちしてるのかな?
「リン。」
アルトラに呼ばれてハッとする。
——いけない、初対面の女の人の胸を凝視してしまった。
「あっ、ごめん、なさい! そんなつもりじゃ……!」
「ふふふっ、本当に可愛い。意地悪したくなっちゃう」
「——リンのこといじめたら許さんからな」
アルトラが笑いながらそう言うと、それに釣られてスズと私も笑い始めるのだった。
——とても居心地がいい。
誰かの話題に必死についていくような息苦しさも、空気を読まなければ排除されるような怖さも、ここにはなかった。
そして緊張も少し解《ほぐ》れてきた所で、アルトラは頑張って真剣な顔を作ってから、真面目な話を始める。
「二人とも、改めてありがとう。二人のお陰で、またみんなが受け入れてくれるようになって、本当に嬉しい」
その言葉を聞いて、私とスズは互いに顔を見合わせて、なんだか気恥ずかしい気持ちを共有した。
「リンちゃんがめちゃくちゃ色んな人に話しかけてたって、私の耳にも入ってたよ」
「いや、その、アルトラの噂よりそっちの方が広まっちゃってたみたいで……」
——二人に届くほど噂になっていたのか。
人見知りなのに、がむしゃらにいろんな人に話しかけたのは覚えているが、半ばパニック状態の会話の内容なんて、ほとんど覚えていなかった。
だが結果として、その『興味』が——本質的には悪意に近いそれがアルトラを助けたのだから、何が役に立つかなんて分からないものだ。
「リン、ありがとうね」
アルトラが私の目を真っ直ぐ見ながらそう言うので、私の頬は溶けてしまうんじゃないかと思うほど緩んで、恥ずかしいくらいに照れてしまう。
私が彼のために出来る数少ないことで、彼が喜んでくれている。
——ああ、なんて幸せなんだろう。
大好きなアルトラと、新しい友達のスズがいて、何気ない会話を楽しめる日が来るなんて。
……もう、私たちは、不良たちに怯える必要も、周りの冷たい目を浴びる必要も無くて、ただこれからは三人で友達として、普通に生きていけるんだ。
そっか。
私は今、明るい世界にいるんだ。
暴力も謀略もいらない、本当に幸せなところに。
——いじめは、終わったんだ。
頬を伝う温かい何かが涙だと気付いて、私は困惑する。
「あっ——」
悲しくないのに、痛くないのに、怖くないのに、寂しくないのに、涙が溢れて止まらない。
「待って、私、泣くつもりなんか……」
嬉しくて涙が出る日が来るなんて思わなかった。
ずっと身体に乗っかかっていた重みが、心に刺さり続けていた棘が、自然と出始めた大声とともに、すべて落ちていく。
——そっか、私、幸せになれるんだ。
そんな私の姿を温かく見守ってくれる二人は、顔を合わせてから優しく微笑む。
ありがとう、私を受け入れてくれて——
「リン、これからもよろしくね」
私のおでこを撫でるアルトラの大きな手は、本当に暖かくて、本当に優しくて、本当に愛おしかった。
その手はきっと、二度と誰かを傷付けたりしないし、包帯を巻いて涙を拭うこともないだろう。
「ご、ごめんね、スズちゃん、私すぐ泣いちゃって——ごめんね」
「大丈夫。リンちゃん、いっぱい泣いていいよ」
私の過去をアルトラから聞いているであろうスズも、憚《はばか》りなしに大泣きする私に微笑みかけて、更に私を泣かせようとする。
——こんなに泣いたのは、生まれて初めてだった。
しばらくして、ようやく泣き止んだ私の頭頂部を再び撫でたアルトラは、椅子に戻った。
そして、新しい友人グループの三人で、遊びに行くことを提案する。
「実は先日、親父《おやじ》からみんなで遊びに使うようにって、お小遣いを貰っちゃってさ。スズと、週末にみんなでカラオケにでも行かないかって話をしてるんだけど……リンは来れそう?」
「え、そんな、悪いよ……お小遣い貯めてるから、カラオケくらい行けるよ?」
「いいのいいの、三人でご飯食べてカラオケ行って、ちょうど使えるくらい貰っちゃったから」
……こういう時に計算をするのは少しお行儀が悪いが、大体5000円くらい貰ったのだろう。
12時から16時の学生割フリータイムが大体2000円で、食事がファミリーレストランであれば一人あたり1000円もしないだろうな——などとすぐに計算したが、食事代まで払ってもらうのはどうしても申し訳ない気がした。
私が唇を隠して難色を示しているのを見て、スズはアルトラの代わりに、私の説得を試みる。
「リンちゃん、私が言うのも変だけど、遠慮し過ぎも良くないよ。うちなんか神社だから、有難く頂くのも礼儀だって言われるもん」
「……えっ、スズちゃんって巫女さんなの!?」
「うん。って言ってもお正月とかお祭りの日だけね」
「あれ、そうだったんだ、僕はてっきり、スズはずっと巫女なんだと思ってた」
「うーん、昔の時代ならそうかも知れないけど、今の時代巫女さんのバイトとかあるくらいだし」
——アルトラと私は同じことを考え、目を合わせる。そういうものなのか、と。
宗教事情には詳しくないが……多分時代の変化というやつなのだろう。
「小さい神社だからね。本当は既婚者は巫女にはなれないけど、うちはお母さんが巫女さんやってたりするし、よく分かんない」
「——まあ、なんにせよ、遠慮はしなくてもいいよ」
「そっか……じゃあ、ご馳走になります」
無理やり話を元に戻したアルトラの言葉に甘えて、私も週末の食事とカラオケにお呼ばれすることにしたのだった。
——誰かにとっては当たり前のもの。
それは、誰かにとっては望んで止まない幸せで、それを手に入れるために、必死に戦っている誰かがいるのかも知れない。
でも、それが当たり前だった人は、そのありがたさを知らない——失ったことがないから。
——私にとっては輝いて見えたもの。
それは、誰かにとっては当たり前で、それを手に入れるために、私がどれだけ苦しんだかなんて、みんなには分からないかも知れない。
でも、それを持っていなかった私には、その先にある苦しみが、どんなものなのか分からなかった。
……だからみんな、正しく生きていたんだ。
……だからみんな、私たちを排除したんだ。
私は知らなかった——手に入れたことがなかったから。
幸せな日々が、それを壊してしまう何かに怯えることで成り立っていたなんて、私は想像していなかった。
幸せを手に入れたら、それで終わりじゃないなんて——知らなかったんだ。
———————
第17話『珠洲《スズ》』
黄土色のソファベッドの上に男女二人、身を寄せ合う訳でもなく、あくまで友人としての距離を保っていた。
——人ひとり分の隙間は、きっと躊躇《ためら》いの分だ。
アルトラに一番の友達だと言われた私は、ただ微笑むことしか出来なかった。
「そういえば、明日はスズとゲーセンに行くんだよね」
アルトラは笑顔のまま、そんなことを私に言った。
スズ——きっと、彼にとって二番目の友達。
面識はないが、彼の正義を信じる仲間であり、恋を知らない彼に近付く異性の手。
そんな彼女と、私が行けないところに行くのだと、アルトラはなんの遠慮もなく言ってのけた。
「そっ、か。いいなぁ、私も一緒に行ければいいのに……」
あの事件以降、私はゲームセンターに行くことを禁止されている。
——こっそり破ってしまっても良いが、心配してくれる両親に悪いので、一応高校生までゲームセンター禁止の約束を守るつもりなのだ。
……まさか、それでアルトラのことを『取られる』だなんて思わないが、それでも不安がないかと言われれば、当然大いに不安だった。
「それと、スズが来週の祝日に会えないかって言ってるんだけど、リンはその日空いてたりする?」
「えっ、スズちゃんが私に会いたがってるの? もちろん、空いてるよ」
私も彼女には会ってみたかった。
スズという子がアルトラにどう接するのか、そこに恋心があるのか——見極めたいのだ。
そのことを抜きにしても、どうして面識のない私まで救おうとしてくれたのか気になるし、少なくとも敵ではないと、私は直感していた。
「よし、じゃあ水曜日のお昼、家《うち》に集合でいい?」
「うん、楽しみにしてる」
——いったい、どんな子なんだろう。
アルトラが、信用出来る友人として新しく迎え入れた女の子。
私を守るために知恵を働かせて、アルトラに力を貸してくれた、明るい側の世界の子。
仲良くなれるといいな——
翌週の祝日の昼、私は寒さで——あるいは緊張で手が震えるのを感じながら、いつも通り自転車でアルトラの家にやって来た。
そこには見慣れない自転車が既に停まっている——どうやら、スズは先に家に着いているようだった。
恐る恐るインターフォンを鳴らすと、中からアルトラの声で「入って!」と聞こえて来たので、何時になくこわごわとドアを開けて、家に上がらせてもらう。
「お、お邪魔します。」
上品に揃えられた白色の汚れない靴は、彼女がどんな人物であるかを表しているようで、更に緊張する。
そして私も靴を脱ぎ揃えて一歩進み、リビングの方を見ると——そこには、可愛いというより、綺麗な女性、といった雰囲気の女の子が座っていた。
「はじめまして、リンちゃん。スズって言います」
わざわざ椅子から立ち上がって、ペコリとお辞儀をした彼女に、私もお辞儀を返す。
——礼儀正しい人なんだろう。すごく落ち着いていて、堂々としていて、大人っぽい。
「はっ、はじめまして、あの、リンです、アルトラの友達です!」
私の人見知りが炸裂したのを見て、彼女はふふっと上品に笑う。
そして、テーブルにお茶を運んで来たアルトラは、スズの振る舞いを見て、何故か「うわぁ」と声を漏らしながら、彼女の横を通りすがる。
「……リン、気を付けて。スズは意外と——いや、かなり意地悪だから」
「ちょっと!」
アルトラに向かって抗議するスズを見ていると、なんとなく、本当はどんな人なのかが分かる気がして——私は思わず笑顔になる。
そんな私の様子を見て、可愛らしく微笑んだ彼女に、一瞬で私は心を許した。
——良かった、きっとすぐに仲良くなれる。
「まあ、リンも座って。緑茶で良かった?」
「うん。ありがと、アルトラ」
テーブルの横に用意されてた椅子に座らせてもらい、冷えた手で温かい湯呑みを取って、早速一口頂く。
スズは私の挙動を、まるで小動物でも眺めるかのように観察しており、それに気付いた私が照れながら微笑むと、彼女もニコッと笑ってくれた。
「噂には聞いてたけど、リンちゃんめっちゃ可愛いじゃん——もしかして、脅して仲良くしてもらってる?」
「違うっての」
冗談っぽくそういう彼女を、アルトラはお茶を飲みながら軽くあしらう。
褒められ慣れていない私は、いきなり彼女に可愛いなどと言われて、顔が真っ赤になるかと思うほどに照れてしまう。
「そ、その、スズちゃんも綺麗で、髪長くて素敵ですっ」
「本当《ほんと》? ありがとう、嬉しい!」
スズは私に、嬉しそうに抱き着こうとして——思わず私は身を引いてしまった。
そんな姿をアルトラはもう一口お茶をすすりながら「やっぱそうなるよな」と呟きつつ眺めている。
——びっくりした。
身体に触れられ慣れていない私は、同性とはいえ、いきなりスキンシップを求めてきた彼女に驚き、身体は自然と拒否反応を起こしてしまった。
……これが明るい世界の子!
「——なんか距離感が近いのよ、スズは」
「ええー、女の子同士ってこんなもんじゃないの?」
「えと、ごめんなさい、びっくりして……」
ああ、心臓に悪い、まさかアルトラにもこんなふうに抱き着こうとしてはいないだろうか。
——いや、私の手に触れることすら躊躇した彼なら、そうされても抵抗する気がする。
……でもどうだろうか。
私とは違い、包容力と弾力がありそうなその胸に、飛び込みたくなる気持ちは、少しわかってしまう。
——柔らかそう。やっぱり、もちもちしてるのかな?
「リン。」
アルトラに呼ばれてハッとする。
——いけない、初対面の女の人の胸を凝視してしまった。
「あっ、ごめん、なさい! そんなつもりじゃ……!」
「ふふふっ、本当に可愛い。意地悪したくなっちゃう」
「——リンのこといじめたら許さんからな」
アルトラが笑いながらそう言うと、それに釣られてスズと私も笑い始めるのだった。
——とても居心地がいい。
誰かの話題に必死についていくような息苦しさも、空気を読まなければ排除されるような怖さも、ここにはなかった。
そして緊張も少し解《ほぐ》れてきた所で、アルトラは頑張って真剣な顔を作ってから、真面目な話を始める。
「二人とも、改めてありがとう。二人のお陰で、またみんなが受け入れてくれるようになって、本当に嬉しい」
その言葉を聞いて、私とスズは互いに顔を見合わせて、なんだか気恥ずかしい気持ちを共有した。
「リンちゃんがめちゃくちゃ色んな人に話しかけてたって、私の耳にも入ってたよ」
「いや、その、アルトラの噂よりそっちの方が広まっちゃってたみたいで……」
——二人に届くほど噂になっていたのか。
人見知りなのに、がむしゃらにいろんな人に話しかけたのは覚えているが、半ばパニック状態の会話の内容なんて、ほとんど覚えていなかった。
だが結果として、その『興味』が——本質的には悪意に近いそれがアルトラを助けたのだから、何が役に立つかなんて分からないものだ。
「リン、ありがとうね」
アルトラが私の目を真っ直ぐ見ながらそう言うので、私の頬は溶けてしまうんじゃないかと思うほど緩んで、恥ずかしいくらいに照れてしまう。
私が彼のために出来る数少ないことで、彼が喜んでくれている。
——ああ、なんて幸せなんだろう。
大好きなアルトラと、新しい友達のスズがいて、何気ない会話を楽しめる日が来るなんて。
……もう、私たちは、不良たちに怯える必要も、周りの冷たい目を浴びる必要も無くて、ただこれからは三人で友達として、普通に生きていけるんだ。
そっか。
私は今、明るい世界にいるんだ。
暴力も謀略もいらない、本当に幸せなところに。
——いじめは、終わったんだ。
頬を伝う温かい何かが涙だと気付いて、私は困惑する。
「あっ——」
悲しくないのに、痛くないのに、怖くないのに、寂しくないのに、涙が溢れて止まらない。
「待って、私、泣くつもりなんか……」
嬉しくて涙が出る日が来るなんて思わなかった。
ずっと身体に乗っかかっていた重みが、心に刺さり続けていた棘が、自然と出始めた大声とともに、すべて落ちていく。
——そっか、私、幸せになれるんだ。
そんな私の姿を温かく見守ってくれる二人は、顔を合わせてから優しく微笑む。
ありがとう、私を受け入れてくれて——
「リン、これからもよろしくね」
私のおでこを撫でるアルトラの大きな手は、本当に暖かくて、本当に優しくて、本当に愛おしかった。
その手はきっと、二度と誰かを傷付けたりしないし、包帯を巻いて涙を拭うこともないだろう。
「ご、ごめんね、スズちゃん、私すぐ泣いちゃって——ごめんね」
「大丈夫。リンちゃん、いっぱい泣いていいよ」
私の過去をアルトラから聞いているであろうスズも、憚《はばか》りなしに大泣きする私に微笑みかけて、更に私を泣かせようとする。
——こんなに泣いたのは、生まれて初めてだった。
しばらくして、ようやく泣き止んだ私の頭頂部を再び撫でたアルトラは、椅子に戻った。
そして、新しい友人グループの三人で、遊びに行くことを提案する。
「実は先日、親父《おやじ》からみんなで遊びに使うようにって、お小遣いを貰っちゃってさ。スズと、週末にみんなでカラオケにでも行かないかって話をしてるんだけど……リンは来れそう?」
「え、そんな、悪いよ……お小遣い貯めてるから、カラオケくらい行けるよ?」
「いいのいいの、三人でご飯食べてカラオケ行って、ちょうど使えるくらい貰っちゃったから」
……こういう時に計算をするのは少しお行儀が悪いが、大体5000円くらい貰ったのだろう。
12時から16時の学生割フリータイムが大体2000円で、食事がファミリーレストランであれば一人あたり1000円もしないだろうな——などとすぐに計算したが、食事代まで払ってもらうのはどうしても申し訳ない気がした。
私が唇を隠して難色を示しているのを見て、スズはアルトラの代わりに、私の説得を試みる。
「リンちゃん、私が言うのも変だけど、遠慮し過ぎも良くないよ。うちなんか神社だから、有難く頂くのも礼儀だって言われるもん」
「……えっ、スズちゃんって巫女さんなの!?」
「うん。って言ってもお正月とかお祭りの日だけね」
「あれ、そうだったんだ、僕はてっきり、スズはずっと巫女なんだと思ってた」
「うーん、昔の時代ならそうかも知れないけど、今の時代巫女さんのバイトとかあるくらいだし」
——アルトラと私は同じことを考え、目を合わせる。そういうものなのか、と。
宗教事情には詳しくないが……多分時代の変化というやつなのだろう。
「小さい神社だからね。本当は既婚者は巫女にはなれないけど、うちはお母さんが巫女さんやってたりするし、よく分かんない」
「——まあ、なんにせよ、遠慮はしなくてもいいよ」
「そっか……じゃあ、ご馳走になります」
無理やり話を元に戻したアルトラの言葉に甘えて、私も週末の食事とカラオケにお呼ばれすることにしたのだった。
第17.5話『幕間』ゲームセンター
第17.5話『幕間』
『ゲームセンター』
地獄みたいに寒くなった11月後半の日曜日、街の外れの大通り同士の立体交差点のすぐ近くにあるゲームセンター——不良どもと喧嘩をしたその場所に、スズと一緒に来ていた。
格ゲーコーナーの例の場所には、いまどき見かけない『ダルマストーブ』の上にやかんが置かれていた。
——もし喧嘩が起きていたのがこの時期だったら、何人か大やけどをさせていただろうな、などと思いながら、やたらと近くを歩こうとするスズに『観光案内』をする。
「ここでリンがアイツらに捕まって、高校生がキスしようとしてたからぶん殴ったんだよね」
スズはストーブを見て、僕と同じことを思ったのか「夏でよかったね……」などと言いながら、腕が当たりそうなくらいの所に立つ。
……リンはいつも、もう少し距離を開けているので、それが男女の距離感だと思っていたが——それも人によって違うのだろう、いや男同士でもふざけていなければここまで近付きはしないだろうに。
「……あの、悪いけどもう半歩だけ離れるようにしてくれると嬉しいかな、ぶつかったら怪我させかねないし」
「あ……ごめん」
彼女にそう指摘すると、少しだけ申し訳なさそうにして、肩が当たらないくらいの位置に立つ。
これでようやく、花火大会の日のリンとの距離感くらいにはなったが、それでも妙に居心地が悪い。
しかしそれを辞めさせる口実も特に見当たらないので、諦めて二人で冷えた身体をストーブで暖めることにした。
「あったかい……」
スズは薄暗いゲームコーナーで、手のひらを赤く照らされながら、スカートを履いているのにしゃがみ込む。
思わず一瞬目を逸らしたが——ロングスカートなら見える心配は無いだろう。
そう思ってスズの方に向き直ると、今度は恵まれた胸の谷間が目に入り、すぐにまた目を逸らす羽目になる。
「ふふっ、何してるの」
僕のことを見上げるようにして、面白そうにスズは笑う。
——自分が今、ものすごく無防備な状態になっていることに気付いているのだろうか。
「……しゃがむのはあんまり良くないな、どうせ空いてるし、そこの椅子でも借りようか」
ゲーム用の椅子を借りて来ながら、さり気なく自分の首に巻いていたマフラーを外し、スズに差し出す。
「え、良いの? アルトラは寒くない?」
「良いよ、使えよ。寒いんだろ?」
「ありがとう、借りるね」
スズはそう言いながら——マフラーを手に巻いた。
違《ちげ》ぇよ、取り敢えず胸元隠せって意味で渡してるのに、何してんだコイツは。
「あの、マフラーの使い方知ってる?」
「はぁっ!? 知ってるけど、手が冷たいからこうしてるの!」
「首に巻いてよ!」
文句をつけるとスズは一瞬不愉快そうな顔をしたが——すぐに僕の意図に気付いたのか、意地悪くニヤッと笑い、マフラーを突き返してきた。
「じゃあ、アルトラが巻いてよ」
——仕方がないので、椅子に座っていても、一度意識すると気になって仕方がない胸元が隠れるように、マフラーを巻いてやった。
「ふーん、胸元が気になってたんだ」
スズはまた意地の悪い笑顔でこちらを見て、図星を付く。
——揉みしだいたろかコイツ……
「……うるっせ! 大体なんでこのクソ寒い中そんな格好で来たんだよ」
「えー、これモコモコで暖かいのに」
スズは服を引っ張り、胸元を晒そうとしたので、また目を逸らさせられる。
そんな僕を見た彼女は、前かがみになりながら笑っていた。
——最初は真面目だと思っていたのに、仲が良くなると調子に乗るタイプか、コイツは。
「あははっ、おもしろ」
ムカつくなぁ、と思いながらも、実際自分が気にし過ぎなのかも知れないとも思いつつ、ストレス発散のために大通り側の出口へと向かった。
「ちょっと、どこ行くのアルトラ?」
「少しキッキングマシンやるだけだ!」
椅子から立ち上がり、追いかけて来ようとするスズを待ってはやらず、僕は財布から百円玉を取り出しながら、クソ寒い外に出た。
——重心を下に落とし、丹田《たんでん》に力を込めて気を練り、息をフッと吐き落として、身体の回転と膝のバネを利用して——蹴る!
いわゆる『弁慶の泣き所』から少し上の、足の骨と筋肉の境目がサンドバッグにクリーンヒットし、バーン! と心地の良い打撃音が響く。
『New score!! 770kg!!』
機械は日間と月間のハイスコアを示し、歴代97位を叩き出す。
——まだ親父《とうちゃん》の蹴りには遠く及ばないが、それでもそこらの不良どもには絶対に負けない力がある。
……まあ、人を蹴る機会なんてない方がいいのだが。
「うわ、すご……ねえ、もう一回やって!」
赤いマフラーを首に巻いたスズは、椅子を戻してから追いかけてきたようで、少し離れた所で僕が遊ぶのを見ていた。
「言われなくても、もう一回蹴れるから」
そう言っているうちにサンドバッグはもう一度立ち上がり、僕は二度目のキックの準備をする。
『バァーン』と、先程より心地の良い音が鳴ったが——威力は先程より低そうだ。
実際に機械は『679kg!!』と表示した。
「これ、よく相手の不良の子死ななかったね……」
「不良相手には手加減してたよ、それこそ入院させることになるし」
……正直言えば、途中で手加減に失敗したが、仕方がない。
あの時は——顔面に蹴りを貰って、意識が朦朧としていたのだ。
「頼もしいね」
スズは悪戯っぽい笑みでまた近付いて来たが、そろそろ死ぬほど寒くなってきたので、僕は彼女を無視して店内に戻ることにした。
店内に入って右側、音ゲーのコーナーにふらふらっと立ち寄り、なんとなくリンが遊んでいたゲームを眺めていると、スズは驚いた顔で話しかけてくる。
「えっ、アルトラって音ゲーやるの!?」
「……ピアノくらいしか音楽は出来ないよ」
——楽譜は読めないが、小さい頃、ピアノ教室に通っていたおかげで、今でも少しくらいは弾ける。
だが、自分にはリズム感はあまりない。
というのも、ピアノはどちらかといえばリズムを『作る』楽器であって、リズムに乗るのは慣れないのだ。
「——リンがね、このゲームすごく上手くって」
そう言いながら『Magic☆Rin』のことを思い出して、少し笑ってしまう。
まだお互いのことをよく知らなかった頃、少しずつ笑い合い、打ち解けあっていったのを思い出すと——なんだか、感慨深いものがあった。
「え、なになに急に?」
「ごめん、リンのハンドルネームで思い出し笑いが」
「えーなにそれ、どんな名前?」
「Magic☆Rin」
スズにその名前を伝えるが——彼女は、いまいちピンときていないようだった。
「……まあ、笑いを伝えるのって難しいよね」
雑なフォローをされて、まるで僕が『スベった』ようだった。
妙にムカつくが、気にせず音ゲーコーナーを後にして、今度はキャッチャーコーナーへと向かうことにした。
可愛らしいぬいぐるみや、格好良いロボットのフィギュアだったり、ちょっとしたお菓子が景品として並ぶキャッチャーコーナーだが——残念ながら、中学生の財力では中々プレイすることも出来ない。
なんとなく、ウィンドウショッピングでもするかのように、周りを見て回ると——そこにはよく知った顔があった。
「……親父《とうちゃん》?」
友達と遊ぶと伝えたら、また何かを勘違いして家を開けていた父が、クレーンゲームで遊んでいた。
「あれっ、虎太郎《こたろう》? 今日はリンちゃんと遊ぶんじゃなかったのか?」
僕の隣にいるスズに気が付いて、また何かを勝手に勘違いして「あっ」と口を閉じた父だったが、景品がゴトンと落ちると何事も無かったかのように取り出そうとする。
「始めまして、おとうさん。狩野《かのう》 珠洲《すず》って言います」
父は景品を取り出すと、スズに「始めまして」と挨拶をして、人見知りを誤魔化しつつ「虎太郎をよろしくね」とだけ言うと、手を振って——そのまますれ違って去って行こうとする。
その際に「虎太郎、頑張れよ」と言いながら尻ポケットに何かをねじ込まれ、そのまま尻を叩かれる。
「うわっ、なんだよ……」
そのまま去っていく親父の背中を見ながら、尻ポケットを確認すると——そこには中々お目にかかれない大金、五千円札が入っていた。
「ちょ、親父《とうちゃん》!?」
普段のお小遣いよりも多い額を渡されて困惑するが——さり気なく友情の後押しをする父の背中が、何故かいつもより大きくて格好良く見えたので、その男気を受け取って、追いかけることもしなかった。
「なんか、大きいアルトラって感じだね、おとうさん」
「まあ、うん、みんなそう言う」
「良いお父さんだね」
昔は本当によく父と喧嘩をしたし怒鳴られたが、この頃——特に高校生を殴った事件があってからは、父に一人前の男として認められているような気がして、なんだか変な感じだった。
「そ、そうだ、一緒にキャッチャーでもやる? 普段は中々出来ないし」
「ええ、勿体無いよ」
「でもそのつもりでくれたんだろうし……そうだ、リンに何かお土産でも取っていこうかな」
そう思ってとりあえず両替機の方に向かおうとしたところで、スズは僕の服の袖を引っ張って、質問をした。
「ねえ、アルトラはリンちゃんのこと、どう思ってるの?」
——またそれか、最近色んな人に同じことを聞かれるし、昨日はリン本人にまでそれを聞かれた。
「どうって、そりゃ一番の友達だよ」
「じゃあ、私は?」
スズの事?
——真面目だと思いきや、意外と茶目っ気があって……
普通に苛立つこともあるけど、リンを救ってくれた恩人でもある。
「まあ、面白い友達だとは思ってる」
スズは目を真ん丸くして「そっか」と言う。
それから、少し沈黙があった後、スズはリンも交えて遊ぶ提案をしてくれる。
「じゃあさ、リンちゃんも一緒に、三人で来週辺りカラオケでも行かない?」
「あ、良いね。じゃあこのお金はその時に使わせて貰おうかな」
「いや、そういうつもりじゃないんだけど……」
「いいのいいの、その方が親父《おやじ》も喜ぶよ」
——そんな噂をしていると、大通り側の出入り口の方から、先程僕が打ち立てた記録を、容易に打ち破る打撃音が聞こえてくるのだった。
『ゲームセンター』
地獄みたいに寒くなった11月後半の日曜日、街の外れの大通り同士の立体交差点のすぐ近くにあるゲームセンター——不良どもと喧嘩をしたその場所に、スズと一緒に来ていた。
格ゲーコーナーの例の場所には、いまどき見かけない『ダルマストーブ』の上にやかんが置かれていた。
——もし喧嘩が起きていたのがこの時期だったら、何人か大やけどをさせていただろうな、などと思いながら、やたらと近くを歩こうとするスズに『観光案内』をする。
「ここでリンがアイツらに捕まって、高校生がキスしようとしてたからぶん殴ったんだよね」
スズはストーブを見て、僕と同じことを思ったのか「夏でよかったね……」などと言いながら、腕が当たりそうなくらいの所に立つ。
……リンはいつも、もう少し距離を開けているので、それが男女の距離感だと思っていたが——それも人によって違うのだろう、いや男同士でもふざけていなければここまで近付きはしないだろうに。
「……あの、悪いけどもう半歩だけ離れるようにしてくれると嬉しいかな、ぶつかったら怪我させかねないし」
「あ……ごめん」
彼女にそう指摘すると、少しだけ申し訳なさそうにして、肩が当たらないくらいの位置に立つ。
これでようやく、花火大会の日のリンとの距離感くらいにはなったが、それでも妙に居心地が悪い。
しかしそれを辞めさせる口実も特に見当たらないので、諦めて二人で冷えた身体をストーブで暖めることにした。
「あったかい……」
スズは薄暗いゲームコーナーで、手のひらを赤く照らされながら、スカートを履いているのにしゃがみ込む。
思わず一瞬目を逸らしたが——ロングスカートなら見える心配は無いだろう。
そう思ってスズの方に向き直ると、今度は恵まれた胸の谷間が目に入り、すぐにまた目を逸らす羽目になる。
「ふふっ、何してるの」
僕のことを見上げるようにして、面白そうにスズは笑う。
——自分が今、ものすごく無防備な状態になっていることに気付いているのだろうか。
「……しゃがむのはあんまり良くないな、どうせ空いてるし、そこの椅子でも借りようか」
ゲーム用の椅子を借りて来ながら、さり気なく自分の首に巻いていたマフラーを外し、スズに差し出す。
「え、良いの? アルトラは寒くない?」
「良いよ、使えよ。寒いんだろ?」
「ありがとう、借りるね」
スズはそう言いながら——マフラーを手に巻いた。
違《ちげ》ぇよ、取り敢えず胸元隠せって意味で渡してるのに、何してんだコイツは。
「あの、マフラーの使い方知ってる?」
「はぁっ!? 知ってるけど、手が冷たいからこうしてるの!」
「首に巻いてよ!」
文句をつけるとスズは一瞬不愉快そうな顔をしたが——すぐに僕の意図に気付いたのか、意地悪くニヤッと笑い、マフラーを突き返してきた。
「じゃあ、アルトラが巻いてよ」
——仕方がないので、椅子に座っていても、一度意識すると気になって仕方がない胸元が隠れるように、マフラーを巻いてやった。
「ふーん、胸元が気になってたんだ」
スズはまた意地の悪い笑顔でこちらを見て、図星を付く。
——揉みしだいたろかコイツ……
「……うるっせ! 大体なんでこのクソ寒い中そんな格好で来たんだよ」
「えー、これモコモコで暖かいのに」
スズは服を引っ張り、胸元を晒そうとしたので、また目を逸らさせられる。
そんな僕を見た彼女は、前かがみになりながら笑っていた。
——最初は真面目だと思っていたのに、仲が良くなると調子に乗るタイプか、コイツは。
「あははっ、おもしろ」
ムカつくなぁ、と思いながらも、実際自分が気にし過ぎなのかも知れないとも思いつつ、ストレス発散のために大通り側の出口へと向かった。
「ちょっと、どこ行くのアルトラ?」
「少しキッキングマシンやるだけだ!」
椅子から立ち上がり、追いかけて来ようとするスズを待ってはやらず、僕は財布から百円玉を取り出しながら、クソ寒い外に出た。
——重心を下に落とし、丹田《たんでん》に力を込めて気を練り、息をフッと吐き落として、身体の回転と膝のバネを利用して——蹴る!
いわゆる『弁慶の泣き所』から少し上の、足の骨と筋肉の境目がサンドバッグにクリーンヒットし、バーン! と心地の良い打撃音が響く。
『New score!! 770kg!!』
機械は日間と月間のハイスコアを示し、歴代97位を叩き出す。
——まだ親父《とうちゃん》の蹴りには遠く及ばないが、それでもそこらの不良どもには絶対に負けない力がある。
……まあ、人を蹴る機会なんてない方がいいのだが。
「うわ、すご……ねえ、もう一回やって!」
赤いマフラーを首に巻いたスズは、椅子を戻してから追いかけてきたようで、少し離れた所で僕が遊ぶのを見ていた。
「言われなくても、もう一回蹴れるから」
そう言っているうちにサンドバッグはもう一度立ち上がり、僕は二度目のキックの準備をする。
『バァーン』と、先程より心地の良い音が鳴ったが——威力は先程より低そうだ。
実際に機械は『679kg!!』と表示した。
「これ、よく相手の不良の子死ななかったね……」
「不良相手には手加減してたよ、それこそ入院させることになるし」
……正直言えば、途中で手加減に失敗したが、仕方がない。
あの時は——顔面に蹴りを貰って、意識が朦朧としていたのだ。
「頼もしいね」
スズは悪戯っぽい笑みでまた近付いて来たが、そろそろ死ぬほど寒くなってきたので、僕は彼女を無視して店内に戻ることにした。
店内に入って右側、音ゲーのコーナーにふらふらっと立ち寄り、なんとなくリンが遊んでいたゲームを眺めていると、スズは驚いた顔で話しかけてくる。
「えっ、アルトラって音ゲーやるの!?」
「……ピアノくらいしか音楽は出来ないよ」
——楽譜は読めないが、小さい頃、ピアノ教室に通っていたおかげで、今でも少しくらいは弾ける。
だが、自分にはリズム感はあまりない。
というのも、ピアノはどちらかといえばリズムを『作る』楽器であって、リズムに乗るのは慣れないのだ。
「——リンがね、このゲームすごく上手くって」
そう言いながら『Magic☆Rin』のことを思い出して、少し笑ってしまう。
まだお互いのことをよく知らなかった頃、少しずつ笑い合い、打ち解けあっていったのを思い出すと——なんだか、感慨深いものがあった。
「え、なになに急に?」
「ごめん、リンのハンドルネームで思い出し笑いが」
「えーなにそれ、どんな名前?」
「Magic☆Rin」
スズにその名前を伝えるが——彼女は、いまいちピンときていないようだった。
「……まあ、笑いを伝えるのって難しいよね」
雑なフォローをされて、まるで僕が『スベった』ようだった。
妙にムカつくが、気にせず音ゲーコーナーを後にして、今度はキャッチャーコーナーへと向かうことにした。
可愛らしいぬいぐるみや、格好良いロボットのフィギュアだったり、ちょっとしたお菓子が景品として並ぶキャッチャーコーナーだが——残念ながら、中学生の財力では中々プレイすることも出来ない。
なんとなく、ウィンドウショッピングでもするかのように、周りを見て回ると——そこにはよく知った顔があった。
「……親父《とうちゃん》?」
友達と遊ぶと伝えたら、また何かを勘違いして家を開けていた父が、クレーンゲームで遊んでいた。
「あれっ、虎太郎《こたろう》? 今日はリンちゃんと遊ぶんじゃなかったのか?」
僕の隣にいるスズに気が付いて、また何かを勝手に勘違いして「あっ」と口を閉じた父だったが、景品がゴトンと落ちると何事も無かったかのように取り出そうとする。
「始めまして、おとうさん。狩野《かのう》 珠洲《すず》って言います」
父は景品を取り出すと、スズに「始めまして」と挨拶をして、人見知りを誤魔化しつつ「虎太郎をよろしくね」とだけ言うと、手を振って——そのまますれ違って去って行こうとする。
その際に「虎太郎、頑張れよ」と言いながら尻ポケットに何かをねじ込まれ、そのまま尻を叩かれる。
「うわっ、なんだよ……」
そのまま去っていく親父の背中を見ながら、尻ポケットを確認すると——そこには中々お目にかかれない大金、五千円札が入っていた。
「ちょ、親父《とうちゃん》!?」
普段のお小遣いよりも多い額を渡されて困惑するが——さり気なく友情の後押しをする父の背中が、何故かいつもより大きくて格好良く見えたので、その男気を受け取って、追いかけることもしなかった。
「なんか、大きいアルトラって感じだね、おとうさん」
「まあ、うん、みんなそう言う」
「良いお父さんだね」
昔は本当によく父と喧嘩をしたし怒鳴られたが、この頃——特に高校生を殴った事件があってからは、父に一人前の男として認められているような気がして、なんだか変な感じだった。
「そ、そうだ、一緒にキャッチャーでもやる? 普段は中々出来ないし」
「ええ、勿体無いよ」
「でもそのつもりでくれたんだろうし……そうだ、リンに何かお土産でも取っていこうかな」
そう思ってとりあえず両替機の方に向かおうとしたところで、スズは僕の服の袖を引っ張って、質問をした。
「ねえ、アルトラはリンちゃんのこと、どう思ってるの?」
——またそれか、最近色んな人に同じことを聞かれるし、昨日はリン本人にまでそれを聞かれた。
「どうって、そりゃ一番の友達だよ」
「じゃあ、私は?」
スズの事?
——真面目だと思いきや、意外と茶目っ気があって……
普通に苛立つこともあるけど、リンを救ってくれた恩人でもある。
「まあ、面白い友達だとは思ってる」
スズは目を真ん丸くして「そっか」と言う。
それから、少し沈黙があった後、スズはリンも交えて遊ぶ提案をしてくれる。
「じゃあさ、リンちゃんも一緒に、三人で来週辺りカラオケでも行かない?」
「あ、良いね。じゃあこのお金はその時に使わせて貰おうかな」
「いや、そういうつもりじゃないんだけど……」
「いいのいいの、その方が親父《おやじ》も喜ぶよ」
——そんな噂をしていると、大通り側の出入り口の方から、先程僕が打ち立てた記録を、容易に打ち破る打撃音が聞こえてくるのだった。
第18話『普通の日々』
第18話『普通の日々』
本格的に落ち葉が増え始めた頃の昼前、アルトラの家の母屋にある柿の、丸みを帯びた大きめの枯れ葉が、冷たい風に吹かれ、カカカカーッ、と音を立てながら、塀の外の細い道路を滑走していった。
敷地に入ると、既にスズの銀色の『ママチャリ』が停まっていて、二人は家の中で待ってくれているらしかった。
インターフォンを鳴らすと、アルトラが「今行くよー」と言いながら、バタバタと動く音が聞こえて来たが、先に靴も履かずに玄関を開けてくれたのはスズだった。
「待って、今日寒いから手袋もしたい……」
相変わらず寒がりのアルトラは、マフラーを首に巻きながら、玄関先の収納から暖かそうな手袋を取り出していた。
「もう、リンちゃんが寒い中で待ってるんだよ!」
スズはアルトラに文句を言いながら、暖かそうな茶色いブーツを履く。
——すごい、こんなに寒いのに、短めのスカート履いてきたんだ。
初めて会ったときはロングスカートを履いていたのに、今日の彼女は、ハイソックスに重荷を背負わせていた。
「ごめん、すぐ出るから!」
慌てて手袋をはめ、そのせいでスニーカーを履くのに手間取りながら、アルトラはバタバタとしていた。
——かわいい。
最近は、アルトラが何をしていても可愛く見えて仕方がない。
「大丈夫だよ、慌てないで」
私がそう声を掛けると、アルトラはかえって慌てて、靴の踵《かかと》を立てようと必死でつま先を何度も地面に打ち付けた。
自転車に乗り、コンビニを通り過ぎて、カラオケ屋のすぐ近くにある大型ショッピングセンターに入ると、私たちは真っ先にフードコートに向かい、まずはハンカチで席を確保したのだった。
「そういえばここ、ファミレスとかはないんだもんね……」
てっきりまとめて会計が出来るお店に入るものだと思っていたので、直接千円札を手渡されて、なんとも言えない罪悪感のようなものを感じてしまう。
私は『長崎ちゃんぽん』の店の列に並び、せめて一番安い単品の料理を注文して、呼び出しブザーを受け取ってから、先に注文を終えたアルトラの待つ席に戻った。
「ただいま。お釣りとレシート、お返しします」
「別に気にしなくていいのに……」
そう言いながら、一応受け取ったアルトラはレシートを見ながら、自分が頼んだ料理とは別の選択に思いを馳せる。
「へぇ、ちゃんぽんも良いなぁ、温まりそう」
「うん、ご馳走になります。アルトラは何にしたの?」
「僕は刀削麺《とうしょうめん》ってやつにしたよ。昔|親父《おやじ》が量増やすために、とか言いながら作ってる途中で動画撮影求めてたの思い出して、あれ美味しかったなぁって」
……アルトラのお父さんにご馳走になっているので悪くは言えないが——ケチなんだか太っ腹なんだか、よく分からない人だ。
「ただいまー……ってあれ、二人ともまだ料理出来てないんだ」
そう言いながらスズは、マグロとサーモン、ネギトロが乗った『おひつご飯』と、その出汁の入ったポットをトレーに載せて持って来た。
「あぁー、海鮮も捨てがたかった。出汁で温まるのも良いよなぁ」
アルトラはスズの海鮮おひつご飯を眺めながら、そんなことを呟いている。
——わかる。どうしても『一つしか選べない』となると、選ばなかった方の良さみたいなものが見えてきてしまうのだ。
「提供も早いし、温まるし、良いチョイスでしょ?」
スズはお釣りをアルトラに手渡しながらそう言う。
アルトラは断る由《よし》もないので、スズからもしっかりお釣りを受け取った。
「二人とも律儀だなぁ——お陰で財布が小銭だらけだ……」
アルトラは黒い財布を取り出しながら、確かに大変なことになっている小銭入れの中に、仕切りを境に100円玉とそれ以外を分けて仕舞った。
「とりあえず私、水持ってくるよ」
「あ、私も手伝う。ごめん、気付かなくて」
給水所の方に向かうスズを追い掛けて、二人で間違えて紙コップ四つを取り出して「まあ、どうせアルトラが飲むでしょ」などと言いながら、ウォーターサーバーのボタンを押す。
席に戻る途中でポケットの中のブザーが鳴り、少し急いで席に戻ると、アルトラのブザーも丁度鳴り始めたのだった。
食事を終えた私たちは、一階のスーパーに寄って持ち込み用の飲み物を購入し、アルトラの財布の小銭を大量に消費した。
一度に硬貨は20枚までしか使えないという話を聞いたことがあったが、それでも店員のお姉さんは嫌がらずに、一緒に大量の一円玉と十円玉を数えてくれた。
……というかアルトラは元々、小銭を溜め込み過ぎなのだ。財布圧迫の原因は今回のお釣り返金騒動だけではない。
普段の買い物でも、私はアルトラが千円札以外で支払いをしている所を、あまり見たことがなかった。
そうして私たちは、再び目的地を目指し——アルトラが手袋のせいで自転車の鍵を外すのに少し手間取るのを見届けてから、予約の時間までにカラオケ屋に到着した。
「三名でご予約の赤星《あかほし》様、フリータイムの学生割でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
私が店員とは自然と応対している姿を見てか、スズは少し不思議そうに私を眺めていた。
——私は人見知りではあるが、対人恐怖症ではないので、お店の人と話すのは意外と平気なのだ。
案内された202号室は、階段を上がって少し奥まで行く必要があったが、自販機やお手洗いに用事がないのなら、何も困ることはない。
「ねえ、採点入れてもいい?」
アルトラは、部屋に入ってすぐに予約用の機械を一つ持ち出して、私たちに訊ねる。
「私は良いよ、スズちゃんは?」
「もっちろん、せっかくなんだから」
二人が同意すると、アルトラは予約機を操作して全国ランキングを競う採点を入れると、端末を並んで座る私たちの方に渡した。
「ええー、アルトラから歌ってよ」
スズがそう言ってマイクと端末を押し付けると、アルトラは「ログインまだ出来てないから……」と言いながら曲を入れるのを渋ったが、私たちからの無言の圧力に屈した彼はすぐにログインを済ませ、初っ端から比較的激しい曲を入れた。
——やっぱり、私はアルトラの力強くて感情のこもった歌い方が好きだ、隣に座るスズも私と同じように、自然と少し体が動いている。
「アルトラ、上手《うま》ーい!」
「いや、そんなこと……」
歌い終わった彼にスズがそう言うと、アルトラは謙遜しながら座り、そんな彼に私たちは拍手を送る。
「ねえ、次はリンが歌ってよ、私まだ、何歌うか決まってないからさ」
「あ、うん。じゃあ先に入れるね」
端末を受け取った私は、すぐにログインを済ませて、とりあえずオススメの欄にある中から知っている曲を入れる。
「あっ——次歌おうとしてたの取られた」
アルトラがそんなことを言うが、私は構わずにマイクを握り、ソファから立ち上がり歌い始める。
明るい曲調で元気が出る歌を歌いながら二人を見てみると、二人ともリズムに合わせて体を揺らしながら歌を聴いている。
「リンも上手い! あと可愛い!」
「ちょ、そんな……」
スズにそう褒められて、思わず照れてしまう。
——アルトラも笑顔で小さく拍手をしていて、楽しそうだ。
「次、スズちゃんだよ!」
私は照れを隠しながら、スズにマイクを渡し、端末も彼女に押し付けた。
彼女は軽くおすすめの欄を見て、ログインもしないまま、すぐに曲を予約した。
「じゃあこの曲歌おっかな」
「あれっ、スズはアカウント作ってないの?」
「んー、『こっち』では持ってないんだよねー、後で作るね」
……ああ、スズは普段『もう片方』の機種を使っているのか、それは少し申し訳ないことをしてしまった。
カラオケは機種によって、結構入っているジャンルが異なるので、私とアルトラの様に『バーチャルシンガー』の曲を好む人は『こっち』を、そういう曲をあまり歌わない人は『あっち』を選ぶ傾向があった。
「ごめんね、予約の前に聞いておけばよかった……」
「いいのいいの、収録曲数は『こっち』の方が多いわけだし」
そう話しているうちに、大人しく綺麗な前奏が終わり、スズは座ったままマイクを手に持ち、歌い始める。
——美しい。最初に見た時の彼女のイメージ通りというか、透き通るような歌声で、優しく震えるビブラートを駆使して、まるで——祈りを捧げるかのような歌い方だ。
アルトラも思わずポカンとした表情のまま固まり、私たちは完全にスズの歌に聞き入っていた。
歌が終わると、私たちは自然と拍手をしていた。その後に表示された点数も圧巻の95点で、『ゲスト』でなければ全国順位は堂々の一位だった。
本格的に落ち葉が増え始めた頃の昼前、アルトラの家の母屋にある柿の、丸みを帯びた大きめの枯れ葉が、冷たい風に吹かれ、カカカカーッ、と音を立てながら、塀の外の細い道路を滑走していった。
敷地に入ると、既にスズの銀色の『ママチャリ』が停まっていて、二人は家の中で待ってくれているらしかった。
インターフォンを鳴らすと、アルトラが「今行くよー」と言いながら、バタバタと動く音が聞こえて来たが、先に靴も履かずに玄関を開けてくれたのはスズだった。
「待って、今日寒いから手袋もしたい……」
相変わらず寒がりのアルトラは、マフラーを首に巻きながら、玄関先の収納から暖かそうな手袋を取り出していた。
「もう、リンちゃんが寒い中で待ってるんだよ!」
スズはアルトラに文句を言いながら、暖かそうな茶色いブーツを履く。
——すごい、こんなに寒いのに、短めのスカート履いてきたんだ。
初めて会ったときはロングスカートを履いていたのに、今日の彼女は、ハイソックスに重荷を背負わせていた。
「ごめん、すぐ出るから!」
慌てて手袋をはめ、そのせいでスニーカーを履くのに手間取りながら、アルトラはバタバタとしていた。
——かわいい。
最近は、アルトラが何をしていても可愛く見えて仕方がない。
「大丈夫だよ、慌てないで」
私がそう声を掛けると、アルトラはかえって慌てて、靴の踵《かかと》を立てようと必死でつま先を何度も地面に打ち付けた。
自転車に乗り、コンビニを通り過ぎて、カラオケ屋のすぐ近くにある大型ショッピングセンターに入ると、私たちは真っ先にフードコートに向かい、まずはハンカチで席を確保したのだった。
「そういえばここ、ファミレスとかはないんだもんね……」
てっきりまとめて会計が出来るお店に入るものだと思っていたので、直接千円札を手渡されて、なんとも言えない罪悪感のようなものを感じてしまう。
私は『長崎ちゃんぽん』の店の列に並び、せめて一番安い単品の料理を注文して、呼び出しブザーを受け取ってから、先に注文を終えたアルトラの待つ席に戻った。
「ただいま。お釣りとレシート、お返しします」
「別に気にしなくていいのに……」
そう言いながら、一応受け取ったアルトラはレシートを見ながら、自分が頼んだ料理とは別の選択に思いを馳せる。
「へぇ、ちゃんぽんも良いなぁ、温まりそう」
「うん、ご馳走になります。アルトラは何にしたの?」
「僕は刀削麺《とうしょうめん》ってやつにしたよ。昔|親父《おやじ》が量増やすために、とか言いながら作ってる途中で動画撮影求めてたの思い出して、あれ美味しかったなぁって」
……アルトラのお父さんにご馳走になっているので悪くは言えないが——ケチなんだか太っ腹なんだか、よく分からない人だ。
「ただいまー……ってあれ、二人ともまだ料理出来てないんだ」
そう言いながらスズは、マグロとサーモン、ネギトロが乗った『おひつご飯』と、その出汁の入ったポットをトレーに載せて持って来た。
「あぁー、海鮮も捨てがたかった。出汁で温まるのも良いよなぁ」
アルトラはスズの海鮮おひつご飯を眺めながら、そんなことを呟いている。
——わかる。どうしても『一つしか選べない』となると、選ばなかった方の良さみたいなものが見えてきてしまうのだ。
「提供も早いし、温まるし、良いチョイスでしょ?」
スズはお釣りをアルトラに手渡しながらそう言う。
アルトラは断る由《よし》もないので、スズからもしっかりお釣りを受け取った。
「二人とも律儀だなぁ——お陰で財布が小銭だらけだ……」
アルトラは黒い財布を取り出しながら、確かに大変なことになっている小銭入れの中に、仕切りを境に100円玉とそれ以外を分けて仕舞った。
「とりあえず私、水持ってくるよ」
「あ、私も手伝う。ごめん、気付かなくて」
給水所の方に向かうスズを追い掛けて、二人で間違えて紙コップ四つを取り出して「まあ、どうせアルトラが飲むでしょ」などと言いながら、ウォーターサーバーのボタンを押す。
席に戻る途中でポケットの中のブザーが鳴り、少し急いで席に戻ると、アルトラのブザーも丁度鳴り始めたのだった。
食事を終えた私たちは、一階のスーパーに寄って持ち込み用の飲み物を購入し、アルトラの財布の小銭を大量に消費した。
一度に硬貨は20枚までしか使えないという話を聞いたことがあったが、それでも店員のお姉さんは嫌がらずに、一緒に大量の一円玉と十円玉を数えてくれた。
……というかアルトラは元々、小銭を溜め込み過ぎなのだ。財布圧迫の原因は今回のお釣り返金騒動だけではない。
普段の買い物でも、私はアルトラが千円札以外で支払いをしている所を、あまり見たことがなかった。
そうして私たちは、再び目的地を目指し——アルトラが手袋のせいで自転車の鍵を外すのに少し手間取るのを見届けてから、予約の時間までにカラオケ屋に到着した。
「三名でご予約の赤星《あかほし》様、フリータイムの学生割でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
私が店員とは自然と応対している姿を見てか、スズは少し不思議そうに私を眺めていた。
——私は人見知りではあるが、対人恐怖症ではないので、お店の人と話すのは意外と平気なのだ。
案内された202号室は、階段を上がって少し奥まで行く必要があったが、自販機やお手洗いに用事がないのなら、何も困ることはない。
「ねえ、採点入れてもいい?」
アルトラは、部屋に入ってすぐに予約用の機械を一つ持ち出して、私たちに訊ねる。
「私は良いよ、スズちゃんは?」
「もっちろん、せっかくなんだから」
二人が同意すると、アルトラは予約機を操作して全国ランキングを競う採点を入れると、端末を並んで座る私たちの方に渡した。
「ええー、アルトラから歌ってよ」
スズがそう言ってマイクと端末を押し付けると、アルトラは「ログインまだ出来てないから……」と言いながら曲を入れるのを渋ったが、私たちからの無言の圧力に屈した彼はすぐにログインを済ませ、初っ端から比較的激しい曲を入れた。
——やっぱり、私はアルトラの力強くて感情のこもった歌い方が好きだ、隣に座るスズも私と同じように、自然と少し体が動いている。
「アルトラ、上手《うま》ーい!」
「いや、そんなこと……」
歌い終わった彼にスズがそう言うと、アルトラは謙遜しながら座り、そんな彼に私たちは拍手を送る。
「ねえ、次はリンが歌ってよ、私まだ、何歌うか決まってないからさ」
「あ、うん。じゃあ先に入れるね」
端末を受け取った私は、すぐにログインを済ませて、とりあえずオススメの欄にある中から知っている曲を入れる。
「あっ——次歌おうとしてたの取られた」
アルトラがそんなことを言うが、私は構わずにマイクを握り、ソファから立ち上がり歌い始める。
明るい曲調で元気が出る歌を歌いながら二人を見てみると、二人ともリズムに合わせて体を揺らしながら歌を聴いている。
「リンも上手い! あと可愛い!」
「ちょ、そんな……」
スズにそう褒められて、思わず照れてしまう。
——アルトラも笑顔で小さく拍手をしていて、楽しそうだ。
「次、スズちゃんだよ!」
私は照れを隠しながら、スズにマイクを渡し、端末も彼女に押し付けた。
彼女は軽くおすすめの欄を見て、ログインもしないまま、すぐに曲を予約した。
「じゃあこの曲歌おっかな」
「あれっ、スズはアカウント作ってないの?」
「んー、『こっち』では持ってないんだよねー、後で作るね」
……ああ、スズは普段『もう片方』の機種を使っているのか、それは少し申し訳ないことをしてしまった。
カラオケは機種によって、結構入っているジャンルが異なるので、私とアルトラの様に『バーチャルシンガー』の曲を好む人は『こっち』を、そういう曲をあまり歌わない人は『あっち』を選ぶ傾向があった。
「ごめんね、予約の前に聞いておけばよかった……」
「いいのいいの、収録曲数は『こっち』の方が多いわけだし」
そう話しているうちに、大人しく綺麗な前奏が終わり、スズは座ったままマイクを手に持ち、歌い始める。
——美しい。最初に見た時の彼女のイメージ通りというか、透き通るような歌声で、優しく震えるビブラートを駆使して、まるで——祈りを捧げるかのような歌い方だ。
アルトラも思わずポカンとした表情のまま固まり、私たちは完全にスズの歌に聞き入っていた。
歌が終わると、私たちは自然と拍手をしていた。その後に表示された点数も圧巻の95点で、『ゲスト』でなければ全国順位は堂々の一位だった。
第19話『冬の始まり』
第19話『冬の始まり』
あまりに長い秋の気配に、誰もが地球温暖化の影響でこれからは冬が暖かくなるという話を信じかけていたが——そんな私たちを裏切るかのように、冬将軍は突如として猛攻を仕掛けた。
その卑劣な奇襲に私の体は耐えきれず、体調を崩して、寝込んでしまっていた。
「アルトラ、スズちゃん、ごめん……」
わざわざプリント類を届けに来てくれた二人を、母は快く家に上げて、お茶まで用意しようとしていたが、アルトラは「リンがゆっくり出来ないといけませんから」と言って断った。
——それでも、心細い私の様子を、部屋まで見に来てくれた。
「どう? 熱は下がった?」
スズはベッドに腰掛ける私の額に、彼女の冷たい手を当てながら、隣で立っているアルトラの額との温度を比べようと——いや、何故か彼の額を引っ叩《ぱた》こうとする。
それをアルトラが仰け反って回避するのを見て、私は吹き出すように笑ってしまう。
「自分の頭でやれよ、あと威力《スピード》おかしいだろ!」
アルトラは笑いながら彼女に抗議しつつ、スズの右手が彼女自身の額に置かれたのを確認してから、構えた手刀を解いた。
「——ちょっとまだ、熱がありそうだね」
「うん、でも|36.9℃《ろくど くぶ》まで下がったよ」
「まあ、明日も来るから、ゆっくり休みなよ」
安心したような顔をして、部屋から立ち去るアルトラに手を振り、彼に着いて出て行こうとするスズにも微笑みかける。
「リン、お大事に!」
「うん、ありがとう」
スズが部屋から出て行ってしばらくすると、一階の玄関の方から「お邪魔しました」と二人が母に声を掛けていくのが聞こえて、そのすぐ後にドアを開ける音が聞こえたのだった。
それから二日、無事に体調が回復した日の帰り道のこと。
積もる雪の中、私の体調を心配した二人は、わざわざ私を家まで送ってくれた。
帰り道アルトラは、塀や低木の上に積もった雪を——普段あんなに寒がって着けている手袋をわざわざ外して、真っ赤な手で集めて握っては、小さな雪だるまを量産して遊んでいた。
「もう、アルトラ、風邪引いちゃうよ」
「えっ、それリンが言う!?」
「ふっ……あははっ!」
私とアルトラのやり取りを見て爆笑し始めたスズに釣られて、私も思わず大笑いする。
「ちょ、ちょっと、笑わせないでよ、昨日から手袋外してて、ツッコミ入れるか悩んでたのに」
「普段、あんなに寒がってるのにね」
「だって、手袋びちょびちょになっちゃうし……」
——元気なワンちゃんのアルトラに、初雪を触らないという選択肢はそもそも無いらしい。
そんな彼を、スズと一緒に眺めて歩く、この時間が愛おしかった。
そんなことをしているうちに、私は家に到着して、二人は「また明日」と言いながら軽く手を振って去っていく。
また明日も、雪が積もってるといいな——
そう思いながら、二人に背を向けて、玄関の扉を開けようとする。
——そして、玄関に入ってから、戸締まりをしようとした所で、離れていく二人の会話が耳に入る。
「うわぁっ、アルトラの手、冷たっ!」
「そりゃ、雪触ってたから冷たいよ、雪が冷たいって知らなかった?」
……そっか。アルトラ、スズちゃんに手を握らせてるんだ。
そうだよね、あの子の手は柔らかくて、優しくて——綺麗だもんね。
——しばらくドアの内側で立ち尽くしていた私は、玄関の鍵をカチャリとかけ、小さな声で「ただいま」と言いながら、自分の部屋に戻る。
……そういえば、最後にアルトラと二人きりになれたのって、いつだっただろう。
最後にアルトラの手を握ったのなんて……
カバンを机の上に置いて、ベッドに腰掛けながら、考えてしまう。
……いいな、スズちゃんは。
アルトラと二人でゲームセンターに行ったり、私が休んでいる間も二人で一緒に帰ったりしていて。
私のいない所でも、二人は沢山話をしていて、私が知らない所で、二人は仲良くなっていく。
……きっとスズにとって、私は『アルトラのおまけ』程度の存在で——そう思うと、何故か急に胸が締め付けられるような気持ちになった。
——そして一瞬、最悪の想定が浮かぶ。
もし、スズがアルトラを想っていたなら。
それどころか、もしあの二人が想い合っていたなら。
いつの間にか、アルトラはスズに手を触れさせることを許している。
私がずっと躊躇していることを、彼女は平然としている。
——胸が苦しくなる。
アルトラ、あなたはスズに、どんな顔を見せているの?
私に見せたこともない姿を、あの子に見せているの——?
「アル……トラ……」
何故、今更こんなに不安になるのだろう、何故また無意識に彼の名前を呼んでいるのだろう。
違う、そんなはずが無い、二人は——違う、私たち三人は友達で、アルトラはまだ恋を知らなくて、この胸騒ぎは気のせいに違いない。
——今の私は、少し不安定なだけだ。
……なんで泣くんだろう、なんで涙が出るんだろう、まだそうと決まったわけじゃない、なのになんで、なんでこんなに胸が苦しいんだろう。
……嫌だ、アルトラを取らないで——
———————
翌週の帰り道から、私たちはスズの家、つまり神社まで一緒に向かってから、そこで少し話をしてから解散して、帰り道が逆方向の私とアルトラはそれぞれの家に帰る、という形に落ち着いていた。
あれからスズもアルトラも、互いに手を繋ごうとしたり、触ろうとはしていない。
……あの日はたまたま、真っ赤になった彼の手を、スキンシップに抵抗のないスズが、興味本位で触ってみただけなのだろう。
——いずれにせよ『月のもの』が終わってみれば、二人と普通に話すことが出来たし、彼らがお互いを異性として意識しているような兆候も見られなかった。
「それでさ、クリスマスの話なんだけど」
アルトラは座布団の上であぐらをかきながら、各々楽な姿勢で畳の上に座っている私たちに話しかける。
社務所の応接室にお邪魔して、ミルクココアまで頂きつつ、私たちは冬休みの『計画』を立てていたのだ。
「三人で一緒に、うちで夕御飯とか食べていかないかって、おばあちゃんが誘ってくれてるんだよね」
「おおー、クリスマスパーティって感じだ」
巫女のスズは、真っ先にクリスマスの話題に食いついた。
神社の敷地を使わせてもらいながら、他の宗教の祭典の話をする私たちだったが——ハロウィンイベントのような祭りもある神社らしいので、その辺りはすぐ側で話を聞いている神主もツッコむ気はないらしい。
「ねえ、お父さん、行ってきてもいい?」
スズがその場で神主に確認を取ると、すぐに「何かお土産は持っていくんだぞ」と言って許可を出した。
「いいですよ、そんな大層なものじゃないですから……」
「パックのものだが、甘酒でどうだい、アルトラ君」
「おお、是非」
アルトラは嬉しそうにしながら、スズの父に笑顔を向ける。
——何故か仲が良さそうな男二人の話が終わると、アルトラは私の方を向いて話を振る。
「リンは来れそう?」
——どうだろうか、母はもちろん行ってこいと言うだろうが、父は間違いなく大反対するだろう。
昼は遊びに行けたとしても、夕飯は難しい——年に数回の、母が本気で料理をする日に、父が早く帰ってくる可能性は非常に高かった。
「……わかんない、家族に聞いてみる」
「そっか。……そうだ、せっかくクリスマスなんだから、プレゼント交換とかどう?」
「おー、いいね、なんかクリスマスっぽい」
スズは嬉しそうにプレゼント交換の案に賛成し、私もそれなら参加出来そうなので、同じく賛成した。
——こうしてクリスマスの日の予定が決まり、私たちは各々家路についたのだった。
その日の夜、家族三人でご飯を食べながら、私はクリスマスの件について父に外出許可を得ようとした。
「駄目だ。そもそも俺はまだ、奴と遊ぶこと自体認めてない」
——やはり、父はそう言った。
聞くだけ無駄なのは分かっていたが、勝手に夕方まで抜けだして、あとからバレるのも面倒くさいので——何かの間違いで許可される可能性に賭けてみたが、当然駄目だった。
「大体、母さんから聞いたが、何故奴を部屋に上げた? 友達も一緒だったとはいえ、リスクも知らずに男を部屋に上げるなんて、十年早い——」
——うるさい。
彼が私に変なことをするわけがないし、私は別に、アルトラになら何をされたっていい。
そんな父の説教は適当に受け流しながら、私は黙ってご飯を食べた。
食後、私が意気消沈したまま皿洗いをしていると、隣で食器を拭く母は私を慰めた。
「リン——お父さんはね、ひとり娘がいつか巣立っていって、いなくなってしまうのが怖いのよ」
……それで私に嫌われるようなことをするなんて、意味が分からない。
自分の恐怖を避けるために、人を怖がらせるなんて、あまりに幼稚で、私はこの頃、父のことがどんどん嫌いになっている。
それでも母は、私のことも尊重してくれつつ、父の気持ちも理解し、それを代弁する。
「リン。いつか必ず、あなたは彼の元に行ってしまうでしょう? だから、今だけは、お父さんの気持ちにも応えて、家族で一緒にいられる時間を、大切にしてあげて」
母は、数年前に亡くなったお祖父《じい》ちゃんのことを思い出しているようで——私は母に対して何も言えなくなってしまった。
——いつか必ず、アルトラの元に行く。
そのいつかが、何もせずとも訪れるとは限らないのに。
あまりに長い秋の気配に、誰もが地球温暖化の影響でこれからは冬が暖かくなるという話を信じかけていたが——そんな私たちを裏切るかのように、冬将軍は突如として猛攻を仕掛けた。
その卑劣な奇襲に私の体は耐えきれず、体調を崩して、寝込んでしまっていた。
「アルトラ、スズちゃん、ごめん……」
わざわざプリント類を届けに来てくれた二人を、母は快く家に上げて、お茶まで用意しようとしていたが、アルトラは「リンがゆっくり出来ないといけませんから」と言って断った。
——それでも、心細い私の様子を、部屋まで見に来てくれた。
「どう? 熱は下がった?」
スズはベッドに腰掛ける私の額に、彼女の冷たい手を当てながら、隣で立っているアルトラの額との温度を比べようと——いや、何故か彼の額を引っ叩《ぱた》こうとする。
それをアルトラが仰け反って回避するのを見て、私は吹き出すように笑ってしまう。
「自分の頭でやれよ、あと威力《スピード》おかしいだろ!」
アルトラは笑いながら彼女に抗議しつつ、スズの右手が彼女自身の額に置かれたのを確認してから、構えた手刀を解いた。
「——ちょっとまだ、熱がありそうだね」
「うん、でも|36.9℃《ろくど くぶ》まで下がったよ」
「まあ、明日も来るから、ゆっくり休みなよ」
安心したような顔をして、部屋から立ち去るアルトラに手を振り、彼に着いて出て行こうとするスズにも微笑みかける。
「リン、お大事に!」
「うん、ありがとう」
スズが部屋から出て行ってしばらくすると、一階の玄関の方から「お邪魔しました」と二人が母に声を掛けていくのが聞こえて、そのすぐ後にドアを開ける音が聞こえたのだった。
それから二日、無事に体調が回復した日の帰り道のこと。
積もる雪の中、私の体調を心配した二人は、わざわざ私を家まで送ってくれた。
帰り道アルトラは、塀や低木の上に積もった雪を——普段あんなに寒がって着けている手袋をわざわざ外して、真っ赤な手で集めて握っては、小さな雪だるまを量産して遊んでいた。
「もう、アルトラ、風邪引いちゃうよ」
「えっ、それリンが言う!?」
「ふっ……あははっ!」
私とアルトラのやり取りを見て爆笑し始めたスズに釣られて、私も思わず大笑いする。
「ちょ、ちょっと、笑わせないでよ、昨日から手袋外してて、ツッコミ入れるか悩んでたのに」
「普段、あんなに寒がってるのにね」
「だって、手袋びちょびちょになっちゃうし……」
——元気なワンちゃんのアルトラに、初雪を触らないという選択肢はそもそも無いらしい。
そんな彼を、スズと一緒に眺めて歩く、この時間が愛おしかった。
そんなことをしているうちに、私は家に到着して、二人は「また明日」と言いながら軽く手を振って去っていく。
また明日も、雪が積もってるといいな——
そう思いながら、二人に背を向けて、玄関の扉を開けようとする。
——そして、玄関に入ってから、戸締まりをしようとした所で、離れていく二人の会話が耳に入る。
「うわぁっ、アルトラの手、冷たっ!」
「そりゃ、雪触ってたから冷たいよ、雪が冷たいって知らなかった?」
……そっか。アルトラ、スズちゃんに手を握らせてるんだ。
そうだよね、あの子の手は柔らかくて、優しくて——綺麗だもんね。
——しばらくドアの内側で立ち尽くしていた私は、玄関の鍵をカチャリとかけ、小さな声で「ただいま」と言いながら、自分の部屋に戻る。
……そういえば、最後にアルトラと二人きりになれたのって、いつだっただろう。
最後にアルトラの手を握ったのなんて……
カバンを机の上に置いて、ベッドに腰掛けながら、考えてしまう。
……いいな、スズちゃんは。
アルトラと二人でゲームセンターに行ったり、私が休んでいる間も二人で一緒に帰ったりしていて。
私のいない所でも、二人は沢山話をしていて、私が知らない所で、二人は仲良くなっていく。
……きっとスズにとって、私は『アルトラのおまけ』程度の存在で——そう思うと、何故か急に胸が締め付けられるような気持ちになった。
——そして一瞬、最悪の想定が浮かぶ。
もし、スズがアルトラを想っていたなら。
それどころか、もしあの二人が想い合っていたなら。
いつの間にか、アルトラはスズに手を触れさせることを許している。
私がずっと躊躇していることを、彼女は平然としている。
——胸が苦しくなる。
アルトラ、あなたはスズに、どんな顔を見せているの?
私に見せたこともない姿を、あの子に見せているの——?
「アル……トラ……」
何故、今更こんなに不安になるのだろう、何故また無意識に彼の名前を呼んでいるのだろう。
違う、そんなはずが無い、二人は——違う、私たち三人は友達で、アルトラはまだ恋を知らなくて、この胸騒ぎは気のせいに違いない。
——今の私は、少し不安定なだけだ。
……なんで泣くんだろう、なんで涙が出るんだろう、まだそうと決まったわけじゃない、なのになんで、なんでこんなに胸が苦しいんだろう。
……嫌だ、アルトラを取らないで——
———————
翌週の帰り道から、私たちはスズの家、つまり神社まで一緒に向かってから、そこで少し話をしてから解散して、帰り道が逆方向の私とアルトラはそれぞれの家に帰る、という形に落ち着いていた。
あれからスズもアルトラも、互いに手を繋ごうとしたり、触ろうとはしていない。
……あの日はたまたま、真っ赤になった彼の手を、スキンシップに抵抗のないスズが、興味本位で触ってみただけなのだろう。
——いずれにせよ『月のもの』が終わってみれば、二人と普通に話すことが出来たし、彼らがお互いを異性として意識しているような兆候も見られなかった。
「それでさ、クリスマスの話なんだけど」
アルトラは座布団の上であぐらをかきながら、各々楽な姿勢で畳の上に座っている私たちに話しかける。
社務所の応接室にお邪魔して、ミルクココアまで頂きつつ、私たちは冬休みの『計画』を立てていたのだ。
「三人で一緒に、うちで夕御飯とか食べていかないかって、おばあちゃんが誘ってくれてるんだよね」
「おおー、クリスマスパーティって感じだ」
巫女のスズは、真っ先にクリスマスの話題に食いついた。
神社の敷地を使わせてもらいながら、他の宗教の祭典の話をする私たちだったが——ハロウィンイベントのような祭りもある神社らしいので、その辺りはすぐ側で話を聞いている神主もツッコむ気はないらしい。
「ねえ、お父さん、行ってきてもいい?」
スズがその場で神主に確認を取ると、すぐに「何かお土産は持っていくんだぞ」と言って許可を出した。
「いいですよ、そんな大層なものじゃないですから……」
「パックのものだが、甘酒でどうだい、アルトラ君」
「おお、是非」
アルトラは嬉しそうにしながら、スズの父に笑顔を向ける。
——何故か仲が良さそうな男二人の話が終わると、アルトラは私の方を向いて話を振る。
「リンは来れそう?」
——どうだろうか、母はもちろん行ってこいと言うだろうが、父は間違いなく大反対するだろう。
昼は遊びに行けたとしても、夕飯は難しい——年に数回の、母が本気で料理をする日に、父が早く帰ってくる可能性は非常に高かった。
「……わかんない、家族に聞いてみる」
「そっか。……そうだ、せっかくクリスマスなんだから、プレゼント交換とかどう?」
「おー、いいね、なんかクリスマスっぽい」
スズは嬉しそうにプレゼント交換の案に賛成し、私もそれなら参加出来そうなので、同じく賛成した。
——こうしてクリスマスの日の予定が決まり、私たちは各々家路についたのだった。
その日の夜、家族三人でご飯を食べながら、私はクリスマスの件について父に外出許可を得ようとした。
「駄目だ。そもそも俺はまだ、奴と遊ぶこと自体認めてない」
——やはり、父はそう言った。
聞くだけ無駄なのは分かっていたが、勝手に夕方まで抜けだして、あとからバレるのも面倒くさいので——何かの間違いで許可される可能性に賭けてみたが、当然駄目だった。
「大体、母さんから聞いたが、何故奴を部屋に上げた? 友達も一緒だったとはいえ、リスクも知らずに男を部屋に上げるなんて、十年早い——」
——うるさい。
彼が私に変なことをするわけがないし、私は別に、アルトラになら何をされたっていい。
そんな父の説教は適当に受け流しながら、私は黙ってご飯を食べた。
食後、私が意気消沈したまま皿洗いをしていると、隣で食器を拭く母は私を慰めた。
「リン——お父さんはね、ひとり娘がいつか巣立っていって、いなくなってしまうのが怖いのよ」
……それで私に嫌われるようなことをするなんて、意味が分からない。
自分の恐怖を避けるために、人を怖がらせるなんて、あまりに幼稚で、私はこの頃、父のことがどんどん嫌いになっている。
それでも母は、私のことも尊重してくれつつ、父の気持ちも理解し、それを代弁する。
「リン。いつか必ず、あなたは彼の元に行ってしまうでしょう? だから、今だけは、お父さんの気持ちにも応えて、家族で一緒にいられる時間を、大切にしてあげて」
母は、数年前に亡くなったお祖父《じい》ちゃんのことを思い出しているようで——私は母に対して何も言えなくなってしまった。
——いつか必ず、アルトラの元に行く。
そのいつかが、何もせずとも訪れるとは限らないのに。
第20話『クリスマス』
第20話『クリスマス』
すっかり冬将軍の占領下に置かれた日本列島にいると、あれだけニュースで騒がれていた暖冬《だんとう》とは一体何だったのか、疑問に思わずにはいられない。
町中に雪が積もる中、冬休みという自由を手に入れた小学生の子供たちが、大喜びではしゃぎ回るのを眺めながら、私は一人、昼過ぎの公園を歩く。
ホワイトクリスマスと相成った今日、流石に自転車を走らせる勇気はなかったので、交換用のプレゼントを手に下げ、私は一人、雪景色を足で踏みながら、アルトラの家に向かった。
家につくと、そこにスズの『ママチャリ』はなかったが、代わりに家の敷地の前から人の往来の痕跡が残っていたので、恐らく彼女は家族に車で送ってもらったのだろう。
「メリークリスマス!」
インターフォンを鳴らして玄関を開けると、赤いサンタクロースの帽子がよく似合うアルトラが、笑顔で出迎えてくれる。
「なんか、気合入ってるね」
「百均《ヒャッキン》のやつだけどね、プレゼントを買うついでに、イオンで買って来たんだ」
嬉しそうにリビングに戻っていくアルトラの後ろを追うと、奥のダイニングには何本か2Lのジュースと、小さな紙パックの甘酒が箱で置いてあった。
机の上には、いかにもパーティ用といった感じのカラフルな紙コップが置かれていて、スズはいつもの場所に座っていた。
「メリクリ、リン!」
「うん。メリークリスマス、スズちゃん!」
「何飲む? コーラ、オレンジジュース、ぶどうジュース……あと甘酒もあるよ」
プレゼントを置いて座ろうとする私に、スズは新品の紙コップを透明な包装袋から取り出してくれる。
「ありがとう。じゃあ——オレンジジュースください」
「お、やっぱり? 実はお父さんと、リンが『オレンジジュース』派か『ぶどうジュース』派かで、勝負してたんだよね」
別にどっち派でもないんだけどな……などと思いながらも、彼女に微笑みかける。
それを見たスズは嬉しそうに、摩擦の少なさで滑りかける紙コップを捕まえながら、トク、トク、とジュースを注いでくれる。
——多分彼女は、自分が無意識にオレンジジュースを最初から手に取っていたことには気付いていない。
そんな私たちの会話に、キッチンに向かったアルトラは、冷蔵庫を漁りながら参加する。
「リンが一番好きなのは、多分リンゴジュースだぞ」
「えっ……教えたっけ?」
「いつも自販機で小《ちっ》さいリンゴジュースばっかり買ってるから。因《ちな》みにスズはココアだな」
冷蔵庫から、スーパーのレジ袋と、何かの箱を持って来ながら、アルトラは私たちの好みを当てていく。
「私は教えた気がするけど、よく覚えてるね」
「いや……まあ、さっき夕飯用の飲み物買う時に、思い出してたから」
彼は机に荷物を置いてから、まずはゴトン、と音を立てて置かれたレジ袋の方を開けた。
——きっと瓶の音だろう。
もしかして、彼は私のために、スーパーで買って来てくれたのだろうか。
「——というわけで、ちょっと良いリンゴジュースを買って来たんだよね」
「わっ——これ千円くらいするやつ……」
「ちょっとだけ奮発した。まあ、みんなで飲む用だけどね。それよりも——」
私の好みを知ってくれていた愛しい彼は、今度は白色の箱の方を開ける。
箱の形状的に予想は出来ていたが、その中から出てきたのは、三人で食べるには少し大きいくらいの、イチゴの乗ったショートケーキのホールケーキだった。
スズは机の上に身を乗り出して、ケーキを眺める。
そんなスズの胸元から、慌てて目を逸らしたアルトラは、サンタ帽を外しながら、ゆっくりと椅子に座るのだった。
「わぁー、サンタさん乗ってるよこれ」
「……親父《おやじ》が今朝買って来てくれた。なんか『言うのが遅い』とか文句言われたけど」
「すごい……けど、ナイフとか食器は……?」
「あっ、忘れてた」
私が指摘するとアルトラはすぐに立ち上がり、キッチンの方へととんぼ返りする。
「手伝うよ。いっぱい持ったら危ないでしょ」
私もアルトラがキッチンに向かうのを追い掛け、彼から皿とフォーク、ケーキカッターを受け取る。
……結局アルトラは手ぶらになってしまったので、あまり手伝う意味はなかったかも知れない。
けれど彼は、助かるよと言いながら席についたので、私は少し照れてしまった。
——ケーキを三等分にするのは難しく、アルトラは少し悩んだ後で、結局ケーキを四等分にし「あとは親父《おやじ》の分だ」と、皿に一切れを載せて冷蔵庫に仕舞う。
そして、再び席に戻って来たアルトラは——真剣《マジ》な目を私たちに向けて、言った。
「じゃあ——サンタの取り合い、しようか」
ジャンケン勝負により、私のショートケーキの上には、甘いサンタクロースが鎮座した。
私が大げさに喜んで見せると、二人も笑顔で「くっそー」と大げさに悔しがった後で、私たちはケーキを食べ始めた。
「ねえねえ、リンはサンタさんに、何をお願いするの?」
スズは勝負に勝った私に、そんなことを質問してきた。
——プレゼントではなく?
「お願い……?」
「ん? サンタってそういうもんじゃなくない?」
「まあまあ、せっかく勝ったんだから、何かお願いしてみたら?」
……理屈はよく分からないが——たしかに神社というと、いろんなものにお願いしがちなイメージはあった。
しかし、いきなりお願いと言われても、咄嗟には出て来ない。
——私は今、満たされている。
友達がいて、好きな人がいて、美味しいものを食べて、幸せなのだ。
だから、私がお願いするべきことといえば——
「——こんな日が、ずっと続きますように」
その言葉を聞いた二人が照れくさそうにするので、言った私も恥ずかしくなってしまった。
……でも、それだけが私の願いで、それ以上に望むものなんてなにもない。
「もちろん。ずっと一緒に、いっぱい楽しもう」
——うん。ずっと、一緒に。
私たちは、恥ずかしそうなアルトラが「なんだよ、もう」と言って茶化すまで、それぞれ照れながら見つめていた。
私たちはケーキを食べ終えると食器を片付け——銀皿のまま食べていたアルトラの分はそのまま捨ててしまい、その後にプレゼント交換を行った。
私は、アルトラが用意したピンクの水晶のキーホルダーが貰えて、彼はスズが買ったちょっと良い消しゴムを手にし、スズの手には私のお菓子詰め合わせが渡った。
それから、彼の提案でボードゲームを一緒にやったり、彼のピアノの演奏を聴かせてもらったりしていると、あっという間に17時を告げるチャイムが鳴り、私は惜しまれつつも、先にお暇《いとま》することになった。
「じゃあ、また……来年になっちゃうかな、二人とも、良いお年を」
「うん。良いお年を」
「リン、ちょっと後で連絡送るね、アルトラには内緒の」
「……えっ、なにそれ」
スズは「女の子同士の話ですー」と言いながら、アルトラと一緒に私に手を振った。
帰り道、プレゼント交換でアルトラから貰った、ピンクの水晶のキーホルダーを胸に抱きながら、すっかり暗くなり、草地に積もった雪が街灯の光で輝く公園を通り抜け、無事に家に辿り着いたのだった。
「リン、先にお風呂入って来なさい、寒かったでしょう」
母は玄関先でコートを預かってくれて、私はそのままお風呂に入ることにする。
外気で冷えに冷えた身体を慣れさせるように、シャワーの温度を調節して膝下や腕先を温めてから、ゆっくりと髪を梳かしながら頭を洗う。
その後、ジップロックに入れておいたスマートフォンを持って浴槽に入ると、メッセージアプリの通知が来ていた。
開いてみると、そこにはアルトラとスズが楽しそうに鳥の丸焼きを囲んでいる写真や、食事中のアルトラを盗撮……もとい気付かれないように撮った写真や、逆にスズが飲み物を飲みながら、手のひらを突き出して撮影を拒もうとしている写真が、グループに送られていた。
『楽しそう、今度は私も参加させて!』と返信を送って、しばらくすると二人から『OK』というスタンプや『もちろん』と文字を添えられた顔文字が送られてくる。
……いいなぁ、私ももっと一緒に遊びたかった。お婆ちゃんの料理もまた食べたかったな。
そんなことを考えながら、浴槽に肩まで沈めていると、1対1の連絡で、スズからメッセージが送られてくる。
『リン、大事な話があるの。30日のお昼、うちでお話出来ない?』
唐突に、初めて彼女から送られてきたそのメッセージに、私は先程までの幻想が打ち砕かれたような気分になる。
——アルトラ抜きで、私たち二人だけでしなければいけないような、大事な話……?
冷たい指先が、本能的に返信を拒む。
嫌な予感——いや、確信が私の胸の鼓動を早く、大きくして、身体じゅうを冷たさが支配する。
返信……出来ない、私は、何も見てない。
私はお風呂に入っていて、メッセージに気付いてない。
……大丈夫、きっと、アルトラにサプライズでもするために、二人で何かを計画したいって話だろう——きっと、そうに違いない。
しかし直後に、私の現実逃避を否定するように、グループのメッセージに、一枚の写真が載せられる。
——それは、スズがアルトラに抱きついている写真だった。
彼は特に嫌がる様子も見せておらず、彼女の胸は、アルトラの肩を包み込んでいた。
「い、いやだ、なんで——アルトラ……?」
危うくスマートフォンを浴槽に落としかけたが、なんとか持ち堪《こた》える。
そしてホームボタンを押して、メッセージを閉じたところに——追い打ちをかけるように、スズからの連絡の通知が届いたのだった。
『来てくれるって、信じてる』
すっかり冬将軍の占領下に置かれた日本列島にいると、あれだけニュースで騒がれていた暖冬《だんとう》とは一体何だったのか、疑問に思わずにはいられない。
町中に雪が積もる中、冬休みという自由を手に入れた小学生の子供たちが、大喜びではしゃぎ回るのを眺めながら、私は一人、昼過ぎの公園を歩く。
ホワイトクリスマスと相成った今日、流石に自転車を走らせる勇気はなかったので、交換用のプレゼントを手に下げ、私は一人、雪景色を足で踏みながら、アルトラの家に向かった。
家につくと、そこにスズの『ママチャリ』はなかったが、代わりに家の敷地の前から人の往来の痕跡が残っていたので、恐らく彼女は家族に車で送ってもらったのだろう。
「メリークリスマス!」
インターフォンを鳴らして玄関を開けると、赤いサンタクロースの帽子がよく似合うアルトラが、笑顔で出迎えてくれる。
「なんか、気合入ってるね」
「百均《ヒャッキン》のやつだけどね、プレゼントを買うついでに、イオンで買って来たんだ」
嬉しそうにリビングに戻っていくアルトラの後ろを追うと、奥のダイニングには何本か2Lのジュースと、小さな紙パックの甘酒が箱で置いてあった。
机の上には、いかにもパーティ用といった感じのカラフルな紙コップが置かれていて、スズはいつもの場所に座っていた。
「メリクリ、リン!」
「うん。メリークリスマス、スズちゃん!」
「何飲む? コーラ、オレンジジュース、ぶどうジュース……あと甘酒もあるよ」
プレゼントを置いて座ろうとする私に、スズは新品の紙コップを透明な包装袋から取り出してくれる。
「ありがとう。じゃあ——オレンジジュースください」
「お、やっぱり? 実はお父さんと、リンが『オレンジジュース』派か『ぶどうジュース』派かで、勝負してたんだよね」
別にどっち派でもないんだけどな……などと思いながらも、彼女に微笑みかける。
それを見たスズは嬉しそうに、摩擦の少なさで滑りかける紙コップを捕まえながら、トク、トク、とジュースを注いでくれる。
——多分彼女は、自分が無意識にオレンジジュースを最初から手に取っていたことには気付いていない。
そんな私たちの会話に、キッチンに向かったアルトラは、冷蔵庫を漁りながら参加する。
「リンが一番好きなのは、多分リンゴジュースだぞ」
「えっ……教えたっけ?」
「いつも自販機で小《ちっ》さいリンゴジュースばっかり買ってるから。因《ちな》みにスズはココアだな」
冷蔵庫から、スーパーのレジ袋と、何かの箱を持って来ながら、アルトラは私たちの好みを当てていく。
「私は教えた気がするけど、よく覚えてるね」
「いや……まあ、さっき夕飯用の飲み物買う時に、思い出してたから」
彼は机に荷物を置いてから、まずはゴトン、と音を立てて置かれたレジ袋の方を開けた。
——きっと瓶の音だろう。
もしかして、彼は私のために、スーパーで買って来てくれたのだろうか。
「——というわけで、ちょっと良いリンゴジュースを買って来たんだよね」
「わっ——これ千円くらいするやつ……」
「ちょっとだけ奮発した。まあ、みんなで飲む用だけどね。それよりも——」
私の好みを知ってくれていた愛しい彼は、今度は白色の箱の方を開ける。
箱の形状的に予想は出来ていたが、その中から出てきたのは、三人で食べるには少し大きいくらいの、イチゴの乗ったショートケーキのホールケーキだった。
スズは机の上に身を乗り出して、ケーキを眺める。
そんなスズの胸元から、慌てて目を逸らしたアルトラは、サンタ帽を外しながら、ゆっくりと椅子に座るのだった。
「わぁー、サンタさん乗ってるよこれ」
「……親父《おやじ》が今朝買って来てくれた。なんか『言うのが遅い』とか文句言われたけど」
「すごい……けど、ナイフとか食器は……?」
「あっ、忘れてた」
私が指摘するとアルトラはすぐに立ち上がり、キッチンの方へととんぼ返りする。
「手伝うよ。いっぱい持ったら危ないでしょ」
私もアルトラがキッチンに向かうのを追い掛け、彼から皿とフォーク、ケーキカッターを受け取る。
……結局アルトラは手ぶらになってしまったので、あまり手伝う意味はなかったかも知れない。
けれど彼は、助かるよと言いながら席についたので、私は少し照れてしまった。
——ケーキを三等分にするのは難しく、アルトラは少し悩んだ後で、結局ケーキを四等分にし「あとは親父《おやじ》の分だ」と、皿に一切れを載せて冷蔵庫に仕舞う。
そして、再び席に戻って来たアルトラは——真剣《マジ》な目を私たちに向けて、言った。
「じゃあ——サンタの取り合い、しようか」
ジャンケン勝負により、私のショートケーキの上には、甘いサンタクロースが鎮座した。
私が大げさに喜んで見せると、二人も笑顔で「くっそー」と大げさに悔しがった後で、私たちはケーキを食べ始めた。
「ねえねえ、リンはサンタさんに、何をお願いするの?」
スズは勝負に勝った私に、そんなことを質問してきた。
——プレゼントではなく?
「お願い……?」
「ん? サンタってそういうもんじゃなくない?」
「まあまあ、せっかく勝ったんだから、何かお願いしてみたら?」
……理屈はよく分からないが——たしかに神社というと、いろんなものにお願いしがちなイメージはあった。
しかし、いきなりお願いと言われても、咄嗟には出て来ない。
——私は今、満たされている。
友達がいて、好きな人がいて、美味しいものを食べて、幸せなのだ。
だから、私がお願いするべきことといえば——
「——こんな日が、ずっと続きますように」
その言葉を聞いた二人が照れくさそうにするので、言った私も恥ずかしくなってしまった。
……でも、それだけが私の願いで、それ以上に望むものなんてなにもない。
「もちろん。ずっと一緒に、いっぱい楽しもう」
——うん。ずっと、一緒に。
私たちは、恥ずかしそうなアルトラが「なんだよ、もう」と言って茶化すまで、それぞれ照れながら見つめていた。
私たちはケーキを食べ終えると食器を片付け——銀皿のまま食べていたアルトラの分はそのまま捨ててしまい、その後にプレゼント交換を行った。
私は、アルトラが用意したピンクの水晶のキーホルダーが貰えて、彼はスズが買ったちょっと良い消しゴムを手にし、スズの手には私のお菓子詰め合わせが渡った。
それから、彼の提案でボードゲームを一緒にやったり、彼のピアノの演奏を聴かせてもらったりしていると、あっという間に17時を告げるチャイムが鳴り、私は惜しまれつつも、先にお暇《いとま》することになった。
「じゃあ、また……来年になっちゃうかな、二人とも、良いお年を」
「うん。良いお年を」
「リン、ちょっと後で連絡送るね、アルトラには内緒の」
「……えっ、なにそれ」
スズは「女の子同士の話ですー」と言いながら、アルトラと一緒に私に手を振った。
帰り道、プレゼント交換でアルトラから貰った、ピンクの水晶のキーホルダーを胸に抱きながら、すっかり暗くなり、草地に積もった雪が街灯の光で輝く公園を通り抜け、無事に家に辿り着いたのだった。
「リン、先にお風呂入って来なさい、寒かったでしょう」
母は玄関先でコートを預かってくれて、私はそのままお風呂に入ることにする。
外気で冷えに冷えた身体を慣れさせるように、シャワーの温度を調節して膝下や腕先を温めてから、ゆっくりと髪を梳かしながら頭を洗う。
その後、ジップロックに入れておいたスマートフォンを持って浴槽に入ると、メッセージアプリの通知が来ていた。
開いてみると、そこにはアルトラとスズが楽しそうに鳥の丸焼きを囲んでいる写真や、食事中のアルトラを盗撮……もとい気付かれないように撮った写真や、逆にスズが飲み物を飲みながら、手のひらを突き出して撮影を拒もうとしている写真が、グループに送られていた。
『楽しそう、今度は私も参加させて!』と返信を送って、しばらくすると二人から『OK』というスタンプや『もちろん』と文字を添えられた顔文字が送られてくる。
……いいなぁ、私ももっと一緒に遊びたかった。お婆ちゃんの料理もまた食べたかったな。
そんなことを考えながら、浴槽に肩まで沈めていると、1対1の連絡で、スズからメッセージが送られてくる。
『リン、大事な話があるの。30日のお昼、うちでお話出来ない?』
唐突に、初めて彼女から送られてきたそのメッセージに、私は先程までの幻想が打ち砕かれたような気分になる。
——アルトラ抜きで、私たち二人だけでしなければいけないような、大事な話……?
冷たい指先が、本能的に返信を拒む。
嫌な予感——いや、確信が私の胸の鼓動を早く、大きくして、身体じゅうを冷たさが支配する。
返信……出来ない、私は、何も見てない。
私はお風呂に入っていて、メッセージに気付いてない。
……大丈夫、きっと、アルトラにサプライズでもするために、二人で何かを計画したいって話だろう——きっと、そうに違いない。
しかし直後に、私の現実逃避を否定するように、グループのメッセージに、一枚の写真が載せられる。
——それは、スズがアルトラに抱きついている写真だった。
彼は特に嫌がる様子も見せておらず、彼女の胸は、アルトラの肩を包み込んでいた。
「い、いやだ、なんで——アルトラ……?」
危うくスマートフォンを浴槽に落としかけたが、なんとか持ち堪《こた》える。
そしてホームボタンを押して、メッセージを閉じたところに——追い打ちをかけるように、スズからの連絡の通知が届いたのだった。
『来てくれるって、信じてる』
15view
0点
良い
悪い