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デッドライン 第20話

アルガニステ
第20話『同質』

 お義父《とう》さんが吐露《とろ》するのは、自分自身の過ちに対する本音と、届かないその贖罪《しょくざい》の言葉。深夜一時のダイニングで、自分を殴りつけたその人の崩壊を、僕は見せつけられる。

「俺は、リンに『普通』になって欲しかった——なにも、背伸びをしていい高校に入って、いい仕事について、いい人生を送ってくれなどと——そんな高望みをしたことなんて、一度もなかった」
「……リンは賢くて、すごい子ですよ。誰に望まれなくとも、自分で夢を見て、自分で進める子だ」
「君が気付いていたそれに、結局俺はあの子に『お前など親ではない』と思い知らされるまで、気付きもしなかった……リンは最初から『普通』になることなど、望んでいなかったと」

 ……何を指して『普通』なんだ。
 僕は親父《とうちゃん》に『普通』になれだとか『まとも』になれだなんて、一度も求められたことがなかった。
 でも——分かる。『普通』の親なら、子供に『普通』を望んでしまうのだろう。

「これはある神職さんの言葉なんですけどね——僕たちは鳥のようには飛べず、イルカのようには泳げない。人間には人間の『役割《アレテー》』があり、それを果たすのが人生だと、その人は言いました」

 ……その『役割』のために亡くなったスズの父は、果たして本当に幸せだったのかは、知る由もないが。

「僕らにはそれぞれ、人とは違う『個性《エルゴン》』があり、人によって違う『理想《イデア》』があり、そのためにどんな『役割《アレテー》』を果たすべきかを、考える必要がある——言ってしまえば、お義父さんの《正義《アレテー》》と、リンの《正義《アレテー》》が、まず『理想《イデア》』のレベルで違うから、ぶつかってしまったんだと思います」

 ——正義が乱立し、対立する。
 かつてケイに教えられた『正義論《リヴァイアサン》』の理論は、このことを示している。

「——お義父さんの『理想《イデア》』は……ごめんなさい、リンに『自分の思う理想の娘』になってもらうこと。そしてリンの『理想《イデア》』は『誰かに必要とされる存在』になることでした」

 一瞬身構えながら話したが、お義父さんは黙って若造の哲学を耳に入れ、リンのいる世界——僕の言葉を聞き入れた。

「それが、二人の『普通』の違いです。言ってしまえばリンはだって、未だに『普通』になろうとしているだけですから」

 ……なんで僕はお義父さんを説教しているんだろう。
 別に、責める権利も許す権利もないのに——だからもっと大きな枠組みで『考え方』そのものを提示するしかなかった。

「……はは。君は、本当はリンより賢いんじゃないか。ずっと馬鹿で乱暴で、救いのない奴だと思っていたのに——」

 ひどい言われようだ。まあ仕方がない、それこそ『普通』は娘の初めての彼氏に対して、最初からいい感情を持つほうが難しい。
 僕らの『哲学』は『普通』に生きるぶんにはなんの役にも立たないが——それは確かに暗闇を照らす灯りであり、絶望を希望へと変える魔法だった。

「娘が——君に惚れ込んだ理由が、少しわかったよ」
「……ごめんなさい、先約があるので」

 ここでフッと吹き出したお義父さんは、リンが恐れ、排除するような敵や化物などではない。
 僕らと同じでただの人。悩みながら進み、泣きながら迷い、立ちはだかる大きな壁のその向こうの景色を夢見る、人間なのだ。

「アルトラくん。よくわかった。君を、娘の——彼氏として認めてやろう」
「ありがとうございます——ご挨拶の順番が変わってしまって申しわけありませんでした」
「ただし。これだけは言わせてくれ。多分、今後言う機会もないだろうから——」

 お義父さんは机の上に身を乗り出して、僕の目を見てはっきり言った。

「娘を、必ず『幸せ』にしてみせろ」

———————

 目が覚めたとき、最初に気が付いたのは、アルトラが上半身だけをベッドに乗せて、私の手を握っていることだった。
 身体の痛みはまだある。しかし山を超えたのか、少し楽に呼吸が出来る程度には回復していた。

 私は愛する人を起こさないように半身を起こし、ぐっすりと眠るアルトラに毛布を半分わけてやりながら、久しぶりに彼の頭を、片手でワシャワシャとなでた。
 もう片方の手ではお腹の中の子を優しくなで、二人が眠っているうちに幸せを独り占めしてやった。

 ——今日、【デッドライン】は突破された。
 これで正式にこの子は『人間』となり、誰も軽率に『死ね』とは言えなくなる——
 悪阻《つわり》も、近いうちに安定期を迎えて落ち着くのだという——そうしたら、久しぶりにアルトラとデートがしたい。

 彼への愛が、溢れて止まない。
 早く結婚して——毎日一緒に眠れたらいいのに。

妊娠十二週目 一日
【デッドライン突破】

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